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いっきの「生き方」探求ブログ。ライフハックメモ、カイゼン日記。そして初心なんかの恥ずかしいメッセージ。さあ、人生を再発見しよう。

iki0156|僕らが外的コントロールから遠ざかるべき3つの理由

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人に何かを無理にやらせたくない。自分を無理にやる気にさせたくない。最近そんなことを思います。

おはようございます。
いっき(@ikkiTime)です。

心理学に、『外的コントロール』という用語があります。私の理解の範囲で大ざっぱに要約すると、

  • (聞こえるように)ため息をつく
  • 不機嫌な空気をかもし出たり、
  • ほうびや怒鳴り声で交渉を進める

などなど、つまり「誰かに対して何かをさせようという意図を持った、アプローチをすること」ということのようです。

そういうやり方はなんとなく、道徳的にはよくない気がしますよね?
穏やかな人間関係を維持するには、避けていかなければいけない、行動のクセ。

とはいえ、そういうのは「大人の事情として必要悪である」という考えも、思春期以降を一度は経た私には浮かびます。

では、大人になってから、あらためてそこから「遠ざかろう」と心がける必要はどこにあるのでしょう。
最近、私は別の観点でこれに必要性、というか興味を持っています。

心の平安です。

目次


  1. 他人に嫌われないため

  2. 防御が甘くなって、他人に振り回される

  3. 自分で自分を外的コントロールしている時に気付くため

  4. 後記

1. 他人に嫌われないため

1番わかりやすい理由はこれでしょう。
あなたがもし、誰かから「何かを “させよう”とする」プレッシャーを受けたら、その相手のことを煙たく感じるはずです。

自分の頭が話の合理性に納得して、自分の気持ちが自発的に整うまで、時間をあたえてほしいと思うはずです。
それに不機嫌をぶつけ合っていれば、それがお互いを加熱させる連鎖に入るかもしれませんし。

少なくとも自立した大人同士ではやめておきたいですね。

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2. 防御が甘くなって、他人に振り回される

2番目の理由は、他人の目や、意図を気にしすぎるようになってしまうことです。

人をコントロールできる力というのは、力としては魅力的です。だから、こちらからはそういうことをする相手を避けつつ、自分自身は巧妙にバレないように使う。
そんな選択肢も思いつきます。

しかし、これは実は難しいのです。そこそこ関係が遠いのなら、できるかもしれません。1年に1回だけ取り引きする業者さんとか。
でも、これが毎日顔を合わせる相手、例えば家族だったらどうでしょう?

こちらからは負の言語外アプローチをしていつつ、相手の感情の動きは無視する。
それをなんの後ろめたさも感じずに、日々繰り返す。人間、そこまで悪党ではいられないものです。

結局、「私、いま不機嫌なの! 少しは気を使ってよね!」という考えを持っている人は、相手の不機嫌にもメッセージを読み取ろうとし、顔色をうかがってしまいます。
だって、親しい相手の不機嫌を膨らませ続けて、得はありませんから。リスクが大きくなるだけです。

だから、「私はあなたをコントロールしようとしたりしない。その代わりあなたの言語外メッセージも受け取らない人間だからね」というセルフイメージが重要になってくるわけです。

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3. 自分で自分を外的コントロールしている時に気付くため

さて、3つ目。本題です。

普通、“外的コントロール” といったら、「自分が他人を」か「他人が自分を」です。
でも、『自分で、自分自身を』というのもあると思うのですよね。
分かりやすいところでは、コンプレックス。「今の私が、この程度の努力量で、憧れのあの人に届くわけがない!」とか。

これくらいならどこか可愛いですが、それだけではありません。
書籍やマスコミの批判的論調に不安をあおられたり、親に怒られたりしているうちに、自分を批判する「他人の視点」を内在化するようなこともおきてきます。

  • 「何も決断しないことが最大のリスク」とか、
  • 「日本のホワイトカラーはいずれいらなくなる」とか、
  • 「まだそんなこともできてないの?!」とか。

そんな声が無意識下に常に響いていて、自分を急き立てている。

それに、目の前の仕事一つに取り組む程度の時でさえ、そういう言葉の方が自分をノせやすいですしね。
「ここでこの仕事を終わらせておかないと、俺は後で大変なことになるぞ。死に物狂いになれ!」
と。

しかし、そういうことの積み重ねが、いつの間にか自分の幸せ感を大きく圧迫していることになるかもしれません。
それに気付いた時は……。

そういう考え方を、自分に向けないようにする。
その第一歩として、人にも向けないようにする。

人に厳しい人は、補正値の差こそあれ、大なり小なり自分にも厳しいものですからね。

 
 
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4. 後記

と、いうわけで選択理論と外的コントロールについて、自分なりに有用性の解説をしてみました。

まあ、子育てしていると、それはなかなか難しいことではあるんですけどね。
言われても自分の衝動を抑えられない相手に、“時間” を含めた社会的な生活をさせなければならない。

私も「体罰と大声までを自制するのがやっと」だったりすること、よくありますから(笑)
キツい口調で指示をしたり、お化け話をしたりね。

だけど、それを含めつつも、「なるべく過剰な責任感を持たないようにしたいな」とは思うわけです。

さて、そんな「選択理論」と「外的コントロール」。その辺りの知識は、私の場合、これらの本で知りました。

参考までに紹介しておきます。





①《人間関係をしなやかにする たったひとつのルール》
はじめての選択理論
②《人間関係にうんざりしたときに読む本》

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