感情がガタガタになって、「今日はとてもブログなんて書けないよ」という気分になった時、どうするか。
おはようございます。
いっき(@ikkiTime)です。
例えば、大切なひとに「もうちょっと、話を聞いてくれてもいいのに、って思う」ということを言われたり、前々から気にしていた、痛いところを突かれたり。
半泣きになって喧嘩している子供達に、うまく割って入ることができず、逆にこっちも怒ってしまったり。
自己嫌悪と自己弁護と自己憐憫。
あああ。
仮タイトルまで決めてあったネタ帳が自分を救ってくれた
で、ネタ帳にしていたEVERNOTEに救われる。
最近はネタ帳が、ややあふれ気味で、「テーマがばらけるのはともかく、書く時間がないなあ」なんてことを考えていました。
でも、それを流し読みしていくと、こんな乱れた気分の時でも、どうにか書けそうなネタが一つか二つ、あったりする。
そして、今回のネタにたどり着く。
そしてまた、もともと「人に見せるための、ブログ」なわけであり、「そのネタ帳」だったのだから、明るいフレーズが並んでいる。
それで、また少し元気が出る。
ゲシュタルト療法の祈りの言葉。『他人は私を喜ばせるために生きているのではない』
「心配性」で検索していて、こんな記事を、見つけた。
一方、笹氣健治氏が勧めるのは、ゲシュタルト療法で使う祈りの言葉だ。
「『他人は私を喜ばせるために生きているのではない』と、事あるごとに3回唱えます。アポイントの電話を断られたりすると、まるで自分が否定されたように感じますが、そもそも相手は自分を喜ばせるために存在しているのではないと気づけば、傷つく必要はありません」
引用元:なぜ、資料の送付、電話一本すら億劫になるのか -「先送り症候群」6タイプ別病状と処方箋【3】心配性タイプ(プレジデント) – Y!ニュース
《まるで自分が否定されたように感じますが、 (中略)、傷つく必要はありません》
なるほど。
であれば、この呪文だけだと、逆にさらに突き離されている感じがするので、自分用には、もう少し言葉を足そうと思う。
「他人は私を喜ばせるために生きているのではない」けれども
「怒るために存在しているわけでもない」。
「怒らせたからと言って全てが大ごとになるわけでもないし」
「自分も相手を喜ばせるためだけに生きてこられたわけでもない」
まあ、これくらいには、自分の側にとって「うれしい」フレーズであってほしいなと。
ちなみに、この 6つのタイプ、1や2、6なんかも当てはまる気はしますけど、まあやっぱり私は【3】なのだろうと思います。
自分で自分に挨拶をする。自分自身とは、もっとも承認しない存在になりがちです。
もう一つ、思い出した記事があります。
こちらはRSS登録もしている、お気に入りブログの記事から。
自分で自分を承認するとは、実に難しいことのようですが、挨拶も承認の一形態。このことを思い出すなら、自分で自分に挨拶をするような姿勢が、そのまま自己承認に結びつけることができます。
ここでもう一点。他人に対しては私たちは礼儀正しく振る舞い、承認をなるべく与えようとする一方で、身内にはなかなかそうしません。近い人ほど、承認せず、否定します。
自分自身とは、もっとも承認しない存在になりがちです。
この姿勢を改めることも、重要でしょう。
自分で自分に挨拶していく。
一生受け身のままで、イイコイイコしてもらうことはできないし、すべきではない。
好きなことをしていく。
楽しむ権利に気づく。行使していく。
色々と自分に言い聞かせたいことが思い浮かぶ。
そうそう、今、引用したシゴタノ!の書評記事では、さらに後ろの方になって、こんな記述もある。
しかし本書の著者は違います。
「凹み、傷ついているということは、あなたもまた、外的コントロールを志向しているのだ」
と指摘するのです。すなわち、他人や世の中を、簡単に変えられると思っていると。
確かに、そうだったかもしれない。
「変えよう」とまでしていなくても、
「いつかでいいから、変わってきて欲しい」
くらいのことは考えたいたかもしれない。
そう、ようやく気づいて、客観的な視点を取り戻せる。
そんな日もあったわけです。
今日もありがとう。
ではまた、どこかで。
P.S. 「少しだけ書き出した」ネタ帳を、もっと充実させようと思います。
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