イキブロ

いっきの「生き方」探求ブログ。ライフハックメモ、カイゼン日記。そして初心なんかの恥ずかしいメッセージ。さあ、人生を再発見しよう。

2017年7月12日
by ikki
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iki0236|[読書]ハーモニー (伊藤計劃)

読んだのは、すこしまえ。

すごく多面的に、味わいが流れ込んでくる本だった。
主として回想シーンでではあるが、中学生のピュアな感情、という中二的な空気によるライトノベル的な駆動力もありつつ、リアリティーとメッセージ性もある。こういうのは、やっぱりSFの畑は強い。

同時に、現在の主人公は職務上の権限を使って非合法の薬物を手に入れたり、それに耽るという、社会と日常にまみれた、“安定したにごり” の空気もある。
作品の心象風景として、両方を備えている。そして、そのどちらにも私は強く共振できる。

それだけ魅力的な主人公がいる一方で、ストーリーの中で主人公の彼女たちと敵対する『生府』の思想にも、私は共鳴するのだ。

バイクとタバコは人生のすべての局面において、たぶん私は馬鹿にしてきたし、宝くじなどの統計学的にメリットのありえないものに対する嗜好も、基本的には見下しながら生きている。(そうでない瞬間も、ポイントポイントではあった)

だから、ひたすら健全で合理的で生産性の高い生き方を推奨する、かの体制の思想は、私と親和性が高い。その押し付けがましさや、のがれにくさを置くとすれば。

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2017年7月11日
by ikki
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iki0235|地図という快楽

マリオメーカー、ってゲームがある。
なんとなく気になっていて、子供が思ったよりもマリオに適応できているのを見たら、なんか買ってみたくなった。

むかし、マリオ3が流行っていたころに、私も紙にオリジナルマップを書いていたことがある。

私は反射神経が悪くて、アクションゲームの大半は苦手で、ほとんどプレイしなかった。
なのに作るマップは、ほぼクリア不可能な難度のキルトラップマップだった。
(子供期あるある)

マップは、なぜか心が踊る。
私の中の、戦略脳のゆえかもしれないが。「地図」は、ワクワクする。
鳥瞰させてくれるもの。

遭遇しては対応を迫られるものを、あるいは覚えていなきゃいけないものを、俯瞰させてくれるもの。

脳に、「自分もなにかやれるかも」と思わせてくれる。

「できる感」が地図にはまとわっている。

見取り図は、いい。

2017年7月10日
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iki0234|「がんばって」賛歌

人が他人にかけられる気づかいの細かさは、文字数に比例する。極小範囲付近においては特に。
だから、メッセージカードなどのように紙幅が限られているときには、言語では個性の出しようもない。
困っている人がいて、その人に届けられる言葉が、5文字しか入らないのなら、「がんばって」しか言えないのだ。

すこし距離のある人で、「がんばってください」と丁寧語にして9文字入れられると、「幸運を祈っています」の方を選ぶこともできる。

でもまあ、その程度だ。

最近は、少数派、弱者側の声が表に出るようになってきたことで、「こういうときは『がんばれ』と言ってはいけない」という注意が目に入るようになってきた。重い病気、離別、鬱など。
それはいいことだし分かるのだけど、距離がそれなりにあって、相手の情報が十分にないとなると、かけられる言葉の精度とバックグラウンド(コンテクスト)が限られてしまう。

子育てで、
「いま大変なんです」という人に、「楽しんで」(「でも、なるべく楽しめるポイントを探して、気楽にね」)というのでも、反感を買うリスクが高まる。

忙しい人に、
「ゆっくり休んでくださいね」というのも「それができれば苦労はしないよ!」と言われそうだし、
手ひどいダメージを受けた人に、
「そういう時はこらえないで泣いていいんですよ」というのも、リスクが高いし。

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2017年7月7日
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iki0233|ジムの効用はあるか

昨日もジムの話をちょっと書いた。

「筋トレと言ったら、ジムに行かなきゃならないのか?」というのは、ひねくれものマインドを持つ人間にとっては、当たり前の反応の一つ。
「英語勉強しなきゃ」と言って、とりあえずスクールに申し込む人を見たときと同じくらい、自然に反応してしまう。

だから、というのも、入会してみた要因としてはある。一度体験してみよう、という。

でも、結局のところこのジム通い直接の引き金は、子供が始めたスイミングの待ち時間に、送迎した私が手持ち無沙汰になってしまうことだった。
(さらに言うと、『逆 “ファミリー割引”』的なものが用意されていて、私の月額は、普通のコースの4分の1程度、子供のコースより安いのだった。コーチ不要なら)

これらの要素がなかったら、最後の最後、踏み切ることはなかったろうと思う。
子育て中で自由になる時間があるわけでもないし、「あと5年は先でいいかな」というくらいの感覚に落ち着いたと思う。

そう考えると、人生は色々と、やっぱり縁の要素があるのだよな。

専属インストラクターなしでもジムの価値はあるか

前置きが長くなった。
ジムの筋トレマシンの価値について。
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2017年7月6日
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iki0232|筋トレとして、ジムに通っている。

私は、怖い仕事をするときには、甘いものを食べながらやるし、簡単な作業なのに、いまいち脳がピリッとしないときには、糖分を補給しながらやっていたりしますから。ヾ(-_-;)

引用元:iki0231|凹んだ感情の補償 | イキブロ

これで太らないのは、99%、天性の体質ですね。

しかし、これだけ偏った体質をしていると、逆方向にまったく同じ強さで欠点もあるもので、筋肉がとてつもなくつかない。
夏のTシャツが似合わないことこの上ない。

それが遠因になって、標題の話になるのだけど、始めたのが去年の秋。

結果的には、夏のための筋トレを、夏が終わってから始めたわけだ。
スーパーラガード。シグナルのアーリーアダプトとは、ほど遠い。
先物取引なんかじゃ、まず役には立たない性格タイプだろう。

けど、確実にもう一度夏が来ると分かっていて、その間の0.75年間、計画を意思の支配下でやり通せてしまう場合、このスーパーラガードも役には立つ。

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2017年7月5日
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iki0231|凹んだ感情の補償

子供を育てていると、よく子供が感情の補償を求めてくる場面に遭遇します。

たとえば、そろそろ宿題をやらないと時間帯的にまずいのに、テレビを見ている。何回か、「そろそろやろうよ。まずいよ」ということを伝えているのに、まだズルズル見ている。

静かに言っても、意識の大勢に染み込まないのかな、と、段々語調が強くなる。
声が荒ららいだり、言葉が皮肉っぽくなったりする。
すると、
「ああ、やろうと思ってたけど、今のでやる気がなくなった!」とか、
「そうやって、怖い声で言われるから、ますます やる気がなくなるー!」
なんて反応が返ってくる。(「じゃあ、どうすりゃいいんだよ?」)

でも、言わないで待ってたら、やっぱりやらないわけです。“やろうと思ってた”、わけがない。
まあ、やつあたりです。
「“遊ぶのを切り上げないといけない”,“宿題やるなんて、いかにも疲れそう”,“命令されるの、ムカつく”。だから、この凹んだ分の感情を、何かでプラスにしてくれるまでは、がんばるなんてできない」
ということですね。

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2017年7月4日
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iki0230|ブログ更新再開から10記事書いた

久しぶりの更新再開から、10記事書いた。
このブログは、ちょくちょく更新が途絶えるし、そのあとで一念発起して「連続更新するぞ!」と考えることも、今回が初めてではない。

そのときは確か2週間くらいで連続更新が止まった。今回も、正直すでに「つかれた、もうやめよっかな」感もまた、出ていもする。

でも、「でもまあ、せっかくだから今日もやるか」というところで続けている。
本当に短く書けそうなネタもふくめて、色々なネタがネタリストに入っていることが、要因として大きいのかもしれない。

長く何も書いていなかった時間にも、色々頭は動いていて、その痕跡がたまっている。
それは、すぐに思い浮かんだものもあれば、“なぜかひょっこり” という感じで意識に顔を出してくれたものもある。
それをたどっている感じがある。

「あー、そういえば、こんなことも前に考えたな。これもネタでいこうかな?」
「あ。これそういえば、『ブログに書こう』って、思ったんだった気がする」

頭の中のものをテープおこししている感覚。

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2017年7月3日
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iki0229|人生を考える力

前回の続き。

この方針に対する、想定される一つの強敵は、アクティブラーニングだ。
主体的な学びの姿勢。
学ぶ対象と学び方を主体が決められる。

先日の書き方の場合、その人その人の課題は、どこか “降ってくる” ようなイメージを前提としていたかもしれないからだ。
受験せよとか、就職せよとか。

個人は、それを「どう攻略するか」を、考えるだけ。

それでいいのか、と。

これは難しい。

何かを与える時には、いつも悩みがある。

そういえば、こどもに最初に「戦隊モノ」を見せる時には、小さいけど、結構深刻な迷いがあった。
「勧善懲悪の心理スキームを強度に刷り込んでしまうのではないか」と。

一つ、道具を与えるとき。
一つ、課題に挑ませるとき。
一つ、「いいやり方」を教えるとき。

どんなに、「魚をあたえるのではなく、」という考え方を先に見据えていたって、迷う。
原罪がそこにある。
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2017年6月30日
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iki0228|子供の教育

(先日、こんな記事を書いた。iki0226|「生きる力」って言葉がきらいです。

私が子供に、生きる技術として、伝えたいことってなんだろうか。

「親が子供に残せるものは、知恵だけである」。 その発想に特に疑いはない。でも、それを前提にするとしても、次には何を目指したらいいのか。

自分と、仮に同じ遺伝子セットしか持たなかったとしても、それでも自分自身よりはマシな人生を歩める力を授けたい。

そう考えたら、無い物ねだりのハイスペック技術ではなく、私自身が今とりくんでいる課題、そしてそれを含めて、人生の転機になってきたいくつかの技術体系とそれにまつわる哲学を伝えておくこと。

『転機』なんて、人生にそう多くない。
直近のベクトル合わせて、2つか3つもあったら多い方だ。ちがうかな?

そうだ、私には、「この子の個性はなんだろうか? 伸ばしたい」という視点と同じくらいに、「自分が残せること」をベースにしようという視点が厳然とある。

「自分みたいにはならないでほしい」、子供には「夫(妻)みたいにならないでほしい」、ってのは、やっぱりたぶん、どこか不健全なんだよ。
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2017年6月29日
by ikki
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iki0227|私と知的生産の技術

知的生産の技術。
ひとの興味関心としては、タスク管理などとともに、「ライフハック」のクラスタの中に含まれる小クラスタのおもむきがある。
(狭義の「知的〜 」は、“発想法”に近いニュアンスがあるのだ。たぶん)

しかしその「技法体系」というのを考えると、むしろその中に仕事ハックやタスク管理が含まれていくという、なにか逆転現象がおきる。

そこでちょっと理解しにくくなる。
ひとつのヒントは、その人がいかに根本的なことを考えるのが好きか、ということだ。
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