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いっきの「生き方」探求ブログ。ライフハックメモ、カイゼン日記。そして初心なんかの恥ずかしいメッセージ。さあ、人生を再発見しよう。

iki0234|「がんばって」賛歌

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人が他人にかけられる気づかいの細かさは、文字数に比例する。極小範囲付近においては特に。
だから、メッセージカードなどのように紙幅が限られているときには、言語では個性の出しようもない。
困っている人がいて、その人に届けられる言葉が、5文字しか入らないのなら、「がんばって」しか言えないのだ。

すこし距離のある人で、「がんばってください」と丁寧語にして9文字入れられると、「幸運を祈っています」の方を選ぶこともできる。

でもまあ、その程度だ。

最近は、少数派、弱者側の声が表に出るようになってきたことで、「こういうときは『がんばれ』と言ってはいけない」という注意が目に入るようになってきた。重い病気、離別、鬱など。
それはいいことだし分かるのだけど、距離がそれなりにあって、相手の情報が十分にないとなると、かけられる言葉の精度とバックグラウンド(コンテクスト)が限られてしまう。

子育てで、
「いま大変なんです」という人に、「楽しんで」(「でも、なるべく楽しめるポイントを探して、気楽にね」)というのでも、反感を買うリスクが高まる。

忙しい人に、
「ゆっくり休んでくださいね」というのも「それができれば苦労はしないよ!」と言われそうだし、
手ひどいダメージを受けた人に、
「そういう時はこらえないで泣いていいんですよ」というのも、リスクが高いし。

たぶん、子育て主婦が「疲れた」と言うところに、仕事夫が「俺も」というのと、(種類が違うとはいえ、)同じくらいにリスクが高いのだろうと思う。(たぶん、この「俺も」というのも、その何割かは「だよね」とか「わかるわかる」という共感の相槌という側面もあったのじゃないかと思うのだけど)

気が沈んでいる人に、
「今は休んでください。元気になったら連絡ください。また何かやりましょう」
というのも、「元気じゃない私に用はないというのか」と思われるかもしれない。

だけど、そこまでの精度を“言葉”に求めるのは無理があるし、言葉が不完全でも伝わるほどのコンテクストを、自分と関係するみんなと共有するのも、無理がある、と私は感じる。絶望しすぎだろうか。

「あなたの話を聞きましたよ」「気にかけていますよ」という意味の定型句として、「がんばって」というのを気兼ねなく使える、受け取る側も細かいことは気にしないで受け取る、ということができる世界になってくれるといいのだけど。
それはまあ、空想なんだけど。

(「語ることがないから、紋切り型ですませて、会話をうち切ろうとしているな」というのは、伝わっちゃうだろう。それは、もう仕方がない)

余談


ちなみに、エントリタイトルは、BUMPのカップリング曲からのもじりだよ。
そういうことを言っていたい気持ちって、あるんだよ。


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