イキブロ

いっきの「生き方」探求ブログ。ライフハックメモ、カイゼン日記。そして初心なんかの恥ずかしいメッセージ。さあ、人生を再発見しよう。

2017年6月28日
by ikki
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iki0226|「生きる力」って言葉がきらいです。

私は小学生の子供を持つ親なのですが、最近、標題の言葉をよく聞くようになりました。
先生も好きだし、マスコミを介した教育産業も使うし、親ですら好きなのか、これを使う人は結構いる。

ポエム調で、高好感度で、私も本能の深いところでは、「そう、そういうことを俺も思っていた。で?」と、関心はそそられる。

それでいて、それを聞くたびに私の頭の中はもやっと嫌な気分になる。
「それって、具体的に何ですか?」
という感覚がしてくるからだ。
「なにが必要十分条件ですか?」と。

なんというか、「勉強以外で、人生に必要なことの、ぜんぶ。」ぐらいの意味のまま、ふわっと使われている感があるのだ。

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2017年6月27日
by ikki
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iki0225|旅行に行くのなら

もうすぐ夏休みが来る。
そうすると、家族で長い旅行を計画することもあるかと思います。

そんなときのハックとして、「着替えとして持っていく服は、古いのばかりにして、現地で捨ててきてしまう(持って帰ってこない)」というものがあります。

帰りはおみやげを買って荷物が増えるから、というのもありますが、もうひとつ見逃せないのが、『帰ってきた後にすぐ、膨大な洗濯物をしなきゃならないハメに陥らないですむ』ということもあります。

少ない有給休暇ギリギリまで旅行する計画を立ててしまうと、これが結構ありがたかったりする。

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2017年6月26日
by ikki
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iki0224|ブログを書く

先週から、またブログを更新している。今のところ、毎日(1日1回)更新で書くようにしている。(平日)

これは、それ自体を目標にも目的にもしていないから、どこかで追いつかなくなったら、やめる。そのときは、1日休む。

でも、極力、「1日の、ある決まった隙間時間で書き上げられる範囲の記事しか、書かない」ようにした方が、リズムがよくなりそうな手ごたえはある。

メデイアの都合で材料が選別される、というのもどうなのかと、客観的には思うけど、数日分の隙間時間(自由時間)をつぎ込まないと書けないような大きな記事に取りかかると、どうしても途中でその記事のテーマに飽きてきてしまう。

ワンエモーションで書ききる。
呆れるほど小さくて未成熟な思考の断片にしかならないだろうけど、それをブログという流れの中に、放流する。
書くことで、川が豊かになる。水量だけのことではなく。

だから、願うならばサケがいつか戻ってくるように、
いつか大魚に育ってほしい。

今はまだ、「twitterがもし300文字までだったら」そこで書けてしまいそうな断片なのだとしても。

なお、メタ的なことを書いておくと、この記事は「ブログというのは何を書いてもいいのだ」という有名な言説の一形態でもある。
何万周回目かの。

2017年6月23日
by ikki
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iki0223|図鑑の楽しみ

子供の誕生日に、彼の祖父母から、図鑑が毎年1冊ずつ贈られる。

今年は「イヌ・ネコ」がいい、と彼は言った。

ちなみに、それと同じ図鑑シリーズに、「動物」という巻は、別途ちゃんとある。

また「恐竜」という巻があった上で、「大昔の生きもの」という巻がある。(ちなみに、表紙のセンターをアノマロカリスが飾っている。さすがだ。 サーベルタイガーとか、恐竜よりは大昔じゃない動物も載れるんだろうか?)

「魚」という巻があった上で、「水の生きもの」という巻もある。

「星と星座」とは別に、「宇宙」「地球」がある。

ここまで狭くなると、その分だけ知識は深くなって、読ませてもらうと、親でも楽しい。

図鑑のシリーズは色々な会社のがあるけれど、それぞれのラインナップのなかで、特徴のある一巻は興味をひく。

個人的には、むかし図書館で読んだ、「動物とえもの」という巻が、能力にフォーカスをあてていて、絵にも動きがあって好きだった。

2017年6月22日
by ikki
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iki0222|子供の文章能力を育てる

私は、子供にけっこう介入的に、読書をうながす親です。
(参考過去記事:iki0216|子供に読書を……、「させる」!ことへの意思と後ろめたさ

「カメラちゃん」とか「かぎばあさん」とかのころが一番スリリングで、数ヶ月前に「マジック・ツリーハウス」のシリーズを、
最近に、「ズッコケ」の怪盗Xのシリーズから、江戸川乱歩の少年探偵団をハマって読むようになってからは、少し肩の荷が降りた感じがする。

そこまで読めるなら、あとは自分で選んで好きなものを読んでいくこともできるだろう。
(選ぶ眼力は別の話として)
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2017年6月21日
by ikki
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iki0221|帰依心、宗教心、考。

「正しいことをしてるのに、報われない、なぜだ」
「まちがったことは何もしてなかったはずなのに、なんでこんな理不尽なことが、私に」

ではなく、
「いいことは起こらなかったけど、最低限、人間としてただしくはふるまえた」
と思えたら、たぶんいい。

人が、避けたい事を、避けようとして避けられないところには、恐ろしさがある。
避けたい事を、避けずに受け容れていくのは、哀しい。

哀しい人のことは、愛してあげることができる。

2017年6月20日
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iki0220|人生の意味

人生に意味はない。
それは確かで、人生は無駄でもいい。
だけど、それの何分の1かである、『次の1時間』には意味があってくれないと、少なくともやる気が出せない。

自我的に、脳的に。

特に、生理的な欲求を満たそうとするような行動じゃない、より思考的で理性的な行動で、あればあるほど。

たとえば、こうしてブログを書くことも。

2017年2月7日
by ikki
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iki0219|携帯電話を持ち忘れて出かけてしまった

たまに携帯電話(iPhone)をおきわすれたまま出勤してしまうと、心理的にデトックスされる。
なかなか不思議だ。

個人携帯なので、仕事の連絡が入ってくるわけではない。
通知の大半は日ごろから切っているし、RSSリーダーやTwitterタイムラインで読む情報は、自分が好きな情報ばかりのはずだ。
仕事のように、楽しさよりも義務感のほうが大きくなるような情報はないはずなのだ。

たぶん、「その気になれば○○できる」ということが、すでにストレスになっているのだ。

  • 「できる」なら、時間を無駄にしてはいけない。
  • 生産するか、せめて価値のあるインプットを、人間はしていなければいけない。
  • 「できる」なら、相手への連絡を怠って、不義理になるようではいけない

……、そんな、プレッシャーを自分で自分にかけてしまっていたことに気づく。

それにしても、今日、家を出るときに、紙の本を持ち忘れていなくてよかった。

あー、でも、会社の帰りにアレグラを買って帰るのは、携帯なしでは、たぶん忘れる。

2016年11月16日
by ikki
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iki0218|雑誌『かーそる』に参加しています

と、いうわけで。

今年の2月くらいから、倉下さんがぽつぽつと構想をつぶやいていた “共同電子雑誌「知的生産の技術マガジン『かーそる』」” が発売されました。

そこに、私いっきも、編集委員・執筆者のひとりとして参加しています。
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2016年11月5日
by ikki
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iki0217|努力と成果

大人になると、マーケットインとか、見切り千両とか、ちゃんと収益化する、とか、そんなことを「考えないといけない」ということになる。そう語られる。

そうすると、それが「正し」くて、すきなことや、「おもしろいから試してみただけ」「やりがいがありそうだったから、挑戦してみたくなった」という気持ちにただ素直であることは、非難されるべきことのような気がしてくる。

ところが、子育てを始めると、「努力をほめないと(結果や能力ではなく)、失敗を恐れるようになる」ということが言われていることに気づく。

この構造に、「努力さえすれば褒めてもらえた、あまい、幸福な、こどもの時代から大人の世界への旅立ち」という矢印を見ることは簡単だ。

だけどもうひとつ思うのは、「心の構造」は、大人になったって同じなんじゃないか、ということ。

もしそうなら、自分のやろうとすること、やったこと、日々やっていること、それを「他人に喜んでもらえたかな」、とか「華麗にこなすことができたか」という目盛りだけをあてがって測ることは、自分のやる気を長期的には削いでしまうことにならいだろうか。

いや、ならないならそれでいいのだけども。

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