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いっきの「生き方」探求ブログ。ライフハックメモ、カイゼン日記。そして初心なんかの恥ずかしいメッセージ。さあ、人生を再発見しよう。

iki0228|子供の教育

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(先日、こんな記事を書いた。iki0226|「生きる力」って言葉がきらいです。

私が子供に、生きる技術として、伝えたいことってなんだろうか。

「親が子供に残せるものは、知恵だけである」。 その発想に特に疑いはない。でも、それを前提にするとしても、次には何を目指したらいいのか。

自分と、仮に同じ遺伝子セットしか持たなかったとしても、それでも自分自身よりはマシな人生を歩める力を授けたい。

そう考えたら、無い物ねだりのハイスペック技術ではなく、私自身が今とりくんでいる課題、そしてそれを含めて、人生の転機になってきたいくつかの技術体系とそれにまつわる哲学を伝えておくこと。

『転機』なんて、人生にそう多くない。
直近のベクトル合わせて、2つか3つもあったら多い方だ。ちがうかな?

そうだ、私には、「この子の個性はなんだろうか? 伸ばしたい」という視点と同じくらいに、「自分が残せること」をベースにしようという視点が厳然とある。

「自分みたいにはならないでほしい」、子供には「夫(妻)みたいにならないでほしい」、ってのは、やっぱりたぶん、どこか不健全なんだよ。

伝えること


そんな風に思いながら、息子と向かい合ってまず伝えたいと考えたのは、

  • 始める前に苦手意識を持たないこと
  • 努力の価値を信じられること

ってのが2本の柱になっていたと思う。

崖を見たときに、「できそう」と思えて、「そのためには練習がいるな。計画を立てよう」と思える回路があるなら、たぶんそこに取りくめる。
そんなことを、無意識的にであれ、考えた。

そう。知識そのものでなはく、結構精神的なことだ。

で、それを一緒に鍛えていこう、となったときに、学校の勉強や公文式というのが、必然的に目に入るようになった。
もちろん、それがスポーツやアウトドアや恋愛であってもいい。
将棋だったり、格闘ゲームでも、たぶんいいわけだけど、すくなくとも何か対象は必要だよね。
意識の内側で、心だけを独立して鍛えることは、できない。

たとえば「苦しいときでも冷静でいられる、心の力」を伸ばしたいと思ったとして、それは何かをする中でしか伸ばせない。

「学校の勉強」と言ったけど、もちろん、高学歴サラリーマンが一番いい、と信じているわけではない。
ここでは知識の習得は、心的な能力を鍛えるための媒介に成り下がっている。
ある意味、なんでもいいことになるわけだ。

何かに取り組む中で、うまくいかない日があったり、それができるようになったりする、体験を積むことに、意味があるのだから。

でもまあ、どうせなんでもいいのなら、その知識体系のファーストチョイスは、結局学校の勉強が一番いいのではないの? とは、思いはするのだけど。

その子の適性が、なにに対しても均等なのなら。


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