日記は続けなくても価値があります。でも、小さな習慣をただ続けることにも、やっぱり価値があるのです。
おはようございます。
いっき(@ikkiTime)です。
前回 (iki0132|人生を変える。自分を活かす! 日記の書き方(第一歩編))では、
毎日書くことに、初めからこだわらなくてもいい、《「落ち込んだ時だけ」書くんでもいいじゃないですか。
まずは、何かを書きとめる習慣とそのツールを身近に持つことから始めればいいんです。》
ということを書きました。
今回も「日記の内容そのもの」ではなく、『日記を書くという行為』の価値の一つについて書いてみます。
それは、「小さな習慣を続ける」ということ。自分で決めて、決めたことを、「ただ続ける」こと。
そのことそのものにも、価値があると思うのです。
その2つの理由について説明します。
日記習慣を続ける意味・その1:意思の力が高まる
この『継続そのものの生む価値』については、気持ちが受動的になって、外界に振り回されていると感じるような時に、特に有効です。
iki0055(『iki0055|自分を変えるなら、まず日記を書こう』)を書いた時にも引用していますが、再度引用。
Lifehacking.jpのmehoriさんの記事。
また、どんな小さな習慣でもいいので、何かを継続すると意志の力も次第に強まるという点も重要です。 小さな習慣というのは、単に歯磨きレベルでもいいので、何か小さなコントロールの及ぶものを人生に取り入れると、それが全体に波及してゆくというわけです。
ーー。
・ 習慣を継続すると意志の力も強まる。
・ 習慣力が波及する。
また、もっと具体的な記述としては;
これらの人々に、「タバコをすった本数」や「テレビを視聴した時間」などといったような意志の力を使うできごとについて質問をしてみると、系統的に運動を続けていた人のほうがタバコを減らし、テレビの時間を少なくするなど、意志の力を強めるのに成功していました。
……。ということが書かれています。
これはどういうことでしょうか?
意図的に、何かを『しよう!』とするのは、さらに『しよう!』とし続けるのは、脳には重労働です。
意思の力を大量に消耗します。
また、高難度でもあります。
人間の意識は、多数の脳細胞の出す信号の集合でできているので、本筋とは無関係な渦やさざ波で波立っています。
そんな波の中で、『一つの意思』をこぼさずに『出力』まで運ぶ、というのは考えてみると大変なことです。
これが病気や人生の大事件などで乱れてしまうと、なかなかリズムを取り戻すのが難しい。
そこで、簡単で小さな習慣を行うことから始めて、少しずつ「脳の中に『しよう!』という意思を、波に揺らさせずに『出力につなげる』た回路を水路付けしよう」ということになるのです。
意思 (を動かす)力の難しいところ
ここで難しいのは、これらの作業の全てが脳内の出来事だということです。
測定して数値の低下をモニタリングすることもできないし、コーチに手取り足取り正しいフォームに矯正してもらうこともできません。
それでいてこのフォームは、結構簡単にくるいます。
誰でも、「自分の会社が倒産するかもしれない」「クビになるかもしれない」といった、大きな不安にさらされた時、自己保存の本能が働いて、本能的で極度に反応的な状態になることがあります。
だからこれは、一度成長して大人になれば、もう必要なくなる、というものではなくて、人生の節目・節目で、再びまた必要となるものなのだと思います。
日記習慣を続ける意味・その2:自己肯定感・自己効力感を得られる
さて、『その1』で、感情を整えたら、『その2』では、やる気や元気の話をしましょう。
引用するのは、少し前にシゴタノ!で、ライフハック心理学の佐々木さんが書かれていた記事です。 結局私たちは、「もらう」→「使う」→「もらう」→「使う」というパターンに陥っているため、自分でお金をコントロールしている実感が、ほとんど得られないか、得られてもあまりに乏しいのです。しかし「ちょっとした」痛み、たとえば「ラテ・マネーを使わないこと」などに耐えることで、数字が増大していけば、お金に関して「自己効力感」が得られます。 このことが、貯蓄へのモチベーションを大いに高める。そういう期待は、確かにできます。
「能動的に痛みに耐えることで、『意図して何かが増やせる』ことを実感」できれば、自己効力感が高まる。
ここでは貯金の例ですが、これは日記のページ数でもいけるでしょうし、ブログのエントリ数でも当然いけるでしょう。
ブログのエントリ数の場合は、自分で数えやすく数字をタイトルに入れることだってよくあります。
(参考:「iki0050|ブログ記事タイトルに通し番号を付けてみる」)
「日記を、習慣にまだなっていない段階で、気が乗らない日にも書き続ける」というのは、小さいとはいえ苦痛です。
でも、それをあえてやっていくことで、それができた自分に有能感を得られる。
そういう使い方も日記習慣には期待できるのです。
ここでも、ポイントとなるのは自分にとっての『ちょうどいい 』(つまりは、多くの場合 “極小” の)負荷を見極めることになってきますね。
まとめ
「目的なき労働は苦痛である」ということは、よく言われます。
でも、目的なき作業でも、自信にしたり、精神の調子を整えたりする効果は確かにあるわけです。
日記習慣について語られたブログなどをみると、「このテンプレートで書こう! オススメ!」という紹介がされていることがよくあります。
これは、「今日は何を書こうか、パッと思いつかない」という日でも、時間をかけずに日記書きを継続できるための工夫という側面が大で、テンプレートの内容そのものに人生を変えるほどの魔力があるわけではありません。
データ集計できるわけではありませんしね。
(もちろん、反省やよかった探し、自分褒めに意味がないということではありませんよ)
というわけで、人生を変えるには「習慣」を一つ決めて、続けてみること。
その第一チョイスとしての「日記」、という習慣。
悪くないと思いますよ。
今日もありがとう。
ではまた、どこかで。
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