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iki0098|ブログの更新に間が空いてしまったときにどうするか? 4つの不安に対処する方法

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お久しぶりです。家族の入院もあって、ブログの更新に間が空いてしまいました。
一度そうなると、リズムや気分が崩れて、色々なことが恐くなって「書かなきゃ書かなきゃ」という焦りから文章がまとまらなくなりす。

おはようございます!
いっき(@ikkiTime)です。

前回の更新のあと、家族の入院の付き添いや自分の体調不良などが重なって、すっかりブログの更新が止まってしまいました。
それ以前もかなりバタバタにはなっていましたが。

これでまあ、iki0009 (iki0009|ブログ更新の目標設定について。 “毎日” という目標に終わりを決めて、どれだけ頑張ればいいかを明確にしてみる)で立てた“245”という目標も、100にすら届かずに止まってしまったわけですが、これはまあいいでしょう。

「むしろ誇らしい」というやつです。

「…情けや愛の心で敵に敗れるのならば……」
「オレにはむしろ誇らしい…!!」

上記のセリフは、ダイの大冒険の文庫版18巻288ページから、戦士ヒュンケルのセリフから(笑)。
ニヒルだった戦士が、敵の卑怯な作戦から仲間をかばおうとしたシーンですね。

この巻あたりのヒュンケルは確かにかっこいい。しかしまあ、この漫画は、「アバン先生」の存在感のせいで、自分の中で忘れ得ない存在となってしまった。

この人や、「はじめの一歩」の真田のようなキャラにはつい憧れを投影して
しまう。

「策士で理知的なパーソナリティ」のままで、いかに「“いい人”以上の“憎めなさ”を獲得するか」という点で、ほとんど完成形に思えてしまうので。

話がわき道にそれました。

ブランクが空いた。そして、「負い目」そのものは、そういった考えでさほどなかった。
にもかかわらず、今回私はなかなかスムーズにアウトプットモードに入れませんでした。

どうも色々と精神的に不安定になってしまったのです。
その不安感をいくつかに分けて分析してみました。

今回はその時の心境のメモや、それに対して考えた対策などを書いておこうと思います。
次回に備えて。

1. 書くことに前向きになれなくなる


私は過去にiki0068で「緊張のしすぎに気付こう。気付きにくい緊張のパターン
という記事を書きました。
今回もこれに近い状態だったのだと思います。

今回は「起こった出来事に、素早くテキパキと反応する」モードとして現れましたが。

これは一見すると良さそうですが、どうもイライラしていて、キャパは確実に下がっていたように思います。

テキパキできているようでいて、その実、確実に、やらされ感は高まり、頭は働かなくなっていました。
もう山場は過ぎたのに、上手に緊張を開放することができずに、緊急なこと・重要なことに必要以上に眼を奪われてしまう。

それに気付いてからは、ノートこそ使いませんでしたが、
心の負荷を自分で慰めたり、
ちょっとした隙間時間に、お天道様の目を盗んで(笑)、自分の『好きなこと』をやるようにしてみたりしました。

状況は違いますが、発想としてはiki0073(iki0073|やる気の出ない日をどう乗り切るか。3つの方法を整理してみました。)でまとめていたような行動です。

おかしなもので、もともとは『楽しいから』で始めたのがブログなのです。
なのに、こうして状況に追われて更新が滞ると、「楽しさ」ではなく、切迫感を感じたりするのですね。
反省したいところです。

まあ、「ブログを書く」という行為は、プライベートな行動の中では、負荷の高いアクションだ、ってこともあるのだと思いますが。

また、「好きなこと」の中でさらに効果があったのが「好きな歌を聴く」ということでした。
私が熱唱系の曲が好きなこともあるのかもしれませんが、そういう曲に触れて直接「パワー感」のようなものを感じると
「あ、創作ってエネルギーのいるものなんだな」
「じゃあ、いま自分が苦しいことや肩に力が入っていることは、あってもいい当たり前のことなんだな」
ということにに気づけたりもしました(笑)

それはそれでメリットだったと思います。

2. まだ見ぬ批判が恐くなる


アウトプットに使える、「まとまった時間」や「落ち着いた思考」がなくなりインプットばかりになってきて、一番意識した恐怖感はこれでした。

どのネタを、どんな風に書こうとしても、それが誰かに批判されたり、否定的に取られるのではないかと不安になるのです。
これは、一因には十分に推敲して単語を選別できないことや、万が一に批判された時に、それに対するフォローや言い訳をできる時間がなさそうであることを直感的に感じ取っているのかも知れません。

このことは、実は、
「ネタの内容『そのもの』だけで反感を買わないようにする」のではなく、「どんな人が、誰に向かって語っている記事なのか」を演じることに意識を向けていくことで、ある程度解決できます。

ブログの記事の文章を考えるときというのは、「言いたいことをつづる」、というよりは、言いたいことは題材で、どちらかというと「ステージの上で演じている感覚」があるのです。
(さらに正確を期すなら、両者のバランスを綱引きさせている感覚です)

私も例えば、
「生きることが恐くてたまらないけど、挑戦しつづける少年」とか
「内向的だったり悲観的だったりはするけど、ひねくれることはせずに前向きであろうとする青年」とか、
「好青年で、子育てにはまだ振り回されるけどその中で色々なことを発見していこうとするパパ」とでもいうようなイメージを、記事によっては志向していることがあります。

これらは、自分の一部ではありますが、すべてではそれぞれけっしてありません。どこか純化され、「演じている」部分があるわけなのです。

もちろん、「自分の得た経験は、つたないなりに、自分を慕ってくれたり追いかけてくれる人達とシェアしたい!」という、素直な気持ちのままに書いている記事もありますよ!

3. 自分の考えが大したものではないような気がする


インプット、特にRSSやTwitterでの更新連絡から、他の人のブログを読み続けていたことが原因の一つかもしれません。

時間がない中でインプットをしようとすると、必然的に「いかに情報を捨てるか」という感性になってきます。
興味のない情報をスキップする「評価者モード」になって、その分「表現するモード」から離れてしまいますし、必然的にハイレベルな情報や文章ばかりに接することになってしまいます。

また、一度立ち止まって締め切り効果がなくなることで、「使えるネタを一つでも見つけたら、なんとか一本に持ち込む」という貪欲さから解放されて、「みんなに尊敬してもらえるようなエントリ以外、アップしたくない (恐いから)」という精神状態になりやすくなる部分もあるのでしょうね。

これに対処する方法として考えたのは、自分のブログの過去記事を読んでみること。
それも投稿前の原稿ではなくて、ちゃんとスタイルシートの付いたやつです。
そうすると、結構自分もいいことを書いていると分かるし、意外にも? きちんと心に響いてくることを書いていると分かるのです。

これは、より美しいものを見たほうが自信が付く、と言うこともありますけれど、美しいものを見た方が、「メモ」ではなく「プロダクト」としての自分の文章をイメージできるということがあるのだと思います。

また、この方が脳内のぐるぐるをただ出しただけのメモよりも、客観的に見れますしね。

じっくりと共感しながら読むことで、「記事の持つ影響力」が、情報だけでなく、そこに現れた心情や人柄、そこへの共感性であることを思い出せれば、「書かなきゃ書かなきゃ」ではなく、自分の考えをじっくり出すきっかけにもできるでしょう。

後記


もう一つ、決定的な対処法として
4. それ自体をエントリのネタにする。
というのがあります。

つまり、いま読んでいただいている、この記事

これは、単に「ネタが一個できた!」ということたけでなく、その気持ちが旬になっているので (あまり嬉しくない旬ですが)比較的書きやすいわけです。

それに次にまた似たような状況になった時に戻ってくる場所を作る意味もあります。

そうして、ひとつリズムを取り戻したら、また誰かに語りかける気持ちを取り戻して行けばいい。

そんな風に思うのです。

今日もありがとう。

ではまた、どこかで。

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