最近、瞑想をしてみることにハマっています。テンションに余裕ができますよ!
おはようございます。
いっき(@ikkiTime)です。
iki0146でもちらっと書きましたが、
最近、瞑想をしています。
『iki0146|仏像と仏教にハマり中。』
これは、元々は妻さんが始めたのものなのですが、今はむしろ私の方がハマっています。
目次
私がとりかかる際に、参考にしたのは、この本。
今回は、本の紹介もしつつ、「少しハマった段階の私が、どんな風に瞑想をしているか」合わせて書いていってみようと思います。
1. 瞑想するとどんないいことがある?
私の実感ではこんな感じです↓。
- Step1 気持ちがスッキリして、落ち着く
- Step2 余裕ができる
- Step3 感情を乗りこなすことができる
まず、外的刺激を遮断していく段階で、ある程度、脳が休息できて元気を取り戻せます。そしてリラックスしていきます。
で、その状態のまま、完全休息(睡眠)には移行しないことで、脳が色々な気になっていることを整理してくれます。これで、気分に余裕ができて、次のトラブルから受ける衝撃をやわらかく受け止めることができます。
さらに、瞑想状態で会っておいた感情は、片付けられる時に、1枚オブラートにくるまれてからしまい込まれるのか、次に遭遇した時には衝動のレベルが小さくなってくれる感覚があります。
それで、ちょっと客観的に、「ああ、私はこの人のこういうことに、また腹をたてているなー」と観察したり、その感情を乗りこなしていきやすくなるわけです。
そういった感覚を、この本では、次のような8項目の効用として挙げています。
「悩みが減る」「ストレスに強くなる」「優しくなる」「嬉しくなる」「よく笑う朗らかな性格になる」「クヨクヨしなくなる」「イライラしなくなる」「健康になる」「熟睡できる」
なかなか、目をひくラインナップですよね。
いかがでしょう。やってみたくなってきましたでしょうか?
2. 気軽にやるのがむしろポイント
さて、そんなわけで、瞑想の最初の目標は、
- 意識の上に、雑念を出しっぱなしにしない
- 浮かんだ雑念は一つ一つ手にとって、本棚なり書庫なりにしまっていく
……、ということになるでしょう。
しかし、ここで「しり込みポイント」になってしまうのが、
- 瞑想しようとする間は「完全に無」にならなくてはいけない
- リラックスし過ぎて寝落ちしてしまったら、どうしよう
といった不安です。
前者はともかく、後者に対しては、著者も教える立場として厳しいですし。
ここは、私は少し疑問のあるところではあります。
瞑想も第一の目標は脱力とリラックスであることは間違いないわけです。
だとすれば、寝落ちはすることは、失敗は失敗でも大失敗ではないわけですし、スタート地点での「進行方向としては間違っていない」ことはもう少し強調してもいい気はするのですね。
『次からは、ギリギリのところで意識を残して、たゆたうことを目指しましょうね』ということでいいと思います。
前者については、著者の方も、
3分なら3分の、5分なら5分の効果や効用があります。集中して15分くらい瞑想すれば、多大な効果があります。
……、ということを言ってくれています。
本の別の箇所では、《瞑想の実践は、頭の机上(脳内の一時記憶域)をキレイにするのが目的です》という解説もしていますが(4章 1)、
私の3stepにせよ、引用した8効用にせよ、それを生み出す最初の効果は、「頭の中にぐるぐるしているものが落ち着いてくれること」から来ているのだと思います。
雑念は思い浮かんでもいい。
ただし、浮かぶ速度はゆるめていく。
思い浮かんでしまったものについて、考え込む時間は短くして、その都度しまい込む。
で、ひととおり雑念が出つくせば、どちらにせよ『無』にはなっていくのだから。
それくらいに考えればいいのだと思います。
3. どんな風にする?
私の場合、目は閉じますが、座ってやったり、寝っころがってやったり、その時々です。
気に焦りがあったりする時は、寝っころがってやることもありますし、緊張が解けないときは、マントラ詠唱からではなく、自律訓練法によりみちしてから、入っていくこともあります。
《参考:自律訓練法 – Wikipedia》
背景公式
気持ちがとても落ち着いている。
第1公式
手足が重い。
第2公式
手足が暖かい。
第3公式
心臓が静かに打っている。
第4公式
呼吸が楽になっている。
第5公式
お腹が暖かい。
第6公式
額が涼しい。これらの公式を順に心の中で繰り返し唱え、自己催眠状態になっていく。
マントラとは
マントラというのは、瞑想する時に唱える呪文のような言葉です。
この言葉に、著者は科学的な解釈を与えていて、記憶と結びついた音としての機能を重視しています。
《自分が赤ちゃんの時に「あーん、あーん」と泣いていた声を内側から聞いた音》《鼻息の擦過音を内側から聞いた音》《「おぎゃーおぎゃー」と元気に泣き叫んでいる自分の泣声》
それぞれについて、何と唱えればよいのかは、買って読んでみてください。
私の場合は、言葉と感じられないものの方が、より雑念を抑えやすそうだな、
「それであれば……」
ということで、『テレビの水中中継をする時の、シュノーケル音』、あんな感じの、 “シュコーパー” というホワイトノイズを思い浮かべたりしています。
後記
そんな風に、あれこれやりつつの我流瞑想ではありますが、手応えはなかなかいいです。
追い詰められてテンパってきた時には、手を動かし続けるのではなく、意識して目を瞑る。
今日もありがとう。
ではまた、どこかで。
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