人生を変えたいと思うでしょうか? 私は変えたい。もっと、もっと良くしたい。
おはようございます。
いっき(@ikkiTime)です。
『毎日がご機嫌であるために。』シリーズとして、ここまで5つを書いてきました。
(末尾にまとめますが、iki0057、iki0058、iki0062、iki0063、iki0064)
このシリーズをやってみて、途中から思ったのは、自分の今の『ブログネタ帳』のかなりの部分が、何らかの形でこのシリーズに加えられそうだということ。
その意味では『毎日がご機嫌であるために。』というのは、イキブロの実は主要なテーマだったのかもしれません。
今のところ、タイトル下の『ブログの説明』文にはそのことは書いていませんが……。
「イキブロ」は、『いっきのブログ』や『「生き方」探求ブログ』であるのと同じくらい、実は『活き活きブログ』だったのかもしれません。
さて、人生には、一度に課題が降ってきて、短期・中期的にいっぱいいっぱいになることがあります。
そういう時は、一般には (そして私も)「勉強」や「インフラ整備」などの投資を切り詰めます。
「不要不急の行動を避ける」とか「重要だけど緊急じゃないもの (第2領域)が後回しになる」状態です。
これは戦術として合理的で、全くもって正しいのですが、注意も必要だ、と最近思うようになりました。
弊害を呼ぶんじゃない? ということです。以下、それを3つに分けて書いてみます。
投資が行われなくなる
これは一般的にもよく言われるのではないかと思います。
「勉強」や「作業のシステム化」などが後回しになりますから、苦しい状態がずっと苦しいままになりやすい。
どこかで、環境の方が明確に好転すればいいですけど、「失われた◯十年」みたいにズルズルと長期に渡って悪いままの状況が続くと、積み上げがないまま破産、という感じになりかねません。
精神的にもろくなる
「その日をしのぐ」「その日を乗り切る」を最重要目標として設置してしまうと、視点がそこに置かれてしまいますから、どうしても視線は低くなりますし視野は狭くなります。
これが進むと、ちょっとしたトラブルに出会って「その日のしのげ具合が前日よりよくない」だけでも、ダメージを受けるようになってしまいかねません。
その日しのぎの、完璧主義化です。
人生のコントロール感が失われる
計画や準備が不足することで、いつでも緊急案件に不意打ちをされるようになります。
また、「やりたいベース」の行動が限りなく減って、「やらなければならない」行動ばかりになるので、どうしても「やらされ感」が出てきます。
それらの総体として、生活が受け身になり、コントロール感が失われます。
では、どうすればいいのか?
ここ半年〜1・2年を振り返った時、私はそのようになっていたのではないかと思えて仕方がありません。
きっと、そこからの脱出のためのあれこれとして、日記を付けたり、ブログを書いたり、レビューのある生活をしたり、計画とタスク管理を身に付けようとしていたのです。
難しいのは、「疲れた時には、まず休息が第一」というのは間違った判断ではないですし、「状況が逼迫したら、不要不急の仕事はひとまず先延ばしにする」というのは正しい判断だということです。
だから、状況が悪くなり続けると、別に怠惰でも何でもなく、合理的な判断をしていても、危機感が正しく発動しても (いや、したからこそ?)、袋小路に入ってしまうことになります。
状況を変えるために何かが必要なのだとしても、大きな投資なんてできるわけがないのです。
だから、私の日記は通勤電車の片道で書き上がる程度の、ごくごく簡単なテンプレートから始まっていましたし(iki0056|話しかけるように日記を書くという方法について)、タスク管理だって、まだまだ随分大雑把なのです。
その上で、少しずつ、「RSSを読んでいる時間」や「ついダラダラとアプリを探し続けてしまう時間」を、そういった新しい習慣が置き換えていってほしい、と期待していた程度なのです。
それなりにうまくはいきましたが、まだまだ途上です。
だから、あなたに「このようにせよ!」と厚かましく言えるわけがありません。
それでも、上に書いたようなアドバイスが、あなたの『毎日がご機嫌であるために』、何かの役に立ってくれたら嬉しいのです。
今日もありがとう。
ではまた、どこかで。
(参考)『毎日がご機嫌であるために。』シリーズ
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