そして、「メリハリを付けない“やる気”管理」。
そんなことを最近考えるようになった。
勝負どころでも、ペースを上げない。
普通に考えたら、逆だ。
『メリハリを付けた方がいい』
- 30分に1本の電車が目の前の駅に来たら、走ってでも乗って、その後いくらでもゆっくり休めばいい。
- 締め切り前は徹夜したらいい。
- 出勤したら、お茶を飲むのは、せめてPCを立ち上げるためのスイッチを押してからにしたらいい。
時間の濃度は一定ではなく、ゆえにそこを過ごす私達も、手取りを最大にするには、勝負どころにリソースを傾斜配分したらいい。
……はずなのだが。
だけど、それがしっくりこない場面に出会うようになってきた。歳かな。
例えば、40年に1回の大雪が降った翌週に、それよりもさらに大規模な雪が降ったりする。
雪掻きは、降った日が勝負で、一度解けた雪が夜に凍り直したりすると、アイスバーンになってしまって、もう雪掻けなくなる。
その上、そういう氷の上は、素のままの雪の上よりも滑りやすくもある。
だから、過剰投資だろうと、翌日疲れはてて寝込むことになろうと、その日にハッスルして雪掻きに励むべきなのだ。
べきなのだが。
それでその筋肉痛がおさまらぬままの体調で、次の大雪の日を迎えることになった時の精神的ショックは大きい。
『40年に一度』というのは、確率頻度の分析結果であって、未来を保証しない。別に、「今回一度降ったから、次は40年後」ということはない。
それでも、長期的に見れば、分布は期待値付近に収束するから、『1番得するアルゴリズム』としてはそれでも正しかったのかもしれない。
でも、人生は1回きりだ。
どこかで、次の事態に対応できないほどのダメージを受けてしまえば、そこで終わる。
脳は気軽に『ここが勝負どころだ!』と思いたがる
似たような判断を、仕事をしていると、よくしているのに気付く。
会議のある日。寝坊してしまった日。風邪のひき始め。雨が降って気圧の低い日。残念なニュースを聞いてしまった日。タスクの入りが多かった日。
「このままではダメだ! テンションを上げて、このピンチを乗り切らないといけない! ゆっくりするのは、それからでいい!」
そんなことを、つい考えたがるのだ。
で、より疲れた状態で、より悪いニュースに対面することになって、さらにそれが度重なることになって、さすがに気付くことになる。
「これ、『勝負どころでは、ペースを上げる方がいい』という考え方、むしろ副作用が大きくなってきていないか?」と。
若い頃と違って、歳のせいか、疲れが抜けなくなってきている。
各所での責任は増えてきて、タスクリストは常に目一杯まで詰め込まれている。
これだと、初めから「もう傾斜配分できる余剰リソースも、その疲労を受け止められるだけの余剰回復力もない」という認識で行動した方がよさそうな気がする。
脳にバイアスがあることを認める。
ひたすら、淡々とやる。
それで、利益が少なくなるのだとしても、自分のもとのリズムをねじ曲げない。
そういう方向にむしろ、意識してふっていく方がいいのではないかと考え始めた。
そんな三十代の後半期。
今日もありがとう。
ではまた、どこかで。
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