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iki0141|『自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れを取る技術』に学ぶ自己肯定感のスモールステップ。 (書評)

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『自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れを取る技術』という本があります。
fmj仲間のくらちさんやアキヅキさんが紹介していて、気になったので読んだ本です。

本の概要


繰り返し、繰り返し、様々な角度から、『意識的に休まなければならない理由』が語られます。
また、具体的なアイデアも含めて、細かい刺激も色々受けられます。
例えば……。

『他の人がもっとがんばっていても、もっと大変な時を自分は乗り越えたことがあるし、と思えても、休む』
『3分の1から4分の1が予備』
『大人の社会でムリを溜めやすいのは、子供の心の強さが強すぎる人達だ』
『感情のセットメニューは、原始人が「生死にに関わる危機」に対応するために身に付けたものだ』
『この時、やりがちなのが、最後尾が追いついたらすぐ、スタートしてしまう事だ』
『良いリーダー、自由にやらせてくれるリーダーの元でも、無理が発生することはある』

などなど。

“子供の「心の強さ」” というエッセンスなんて、そのおかげで、私の参加している共同ブログ『fmj』でエントリを書くもとの一つになっていたと思うし。
(『養生初心者の初心者の養生メモ。』)
「そうだよなぁ……、若い頃に有効だった美学や物語が、逆に自分を痛めつけるものに変わっているんだよなあ」って。

 
しかし……。
私には、他にもう一つ、すごく印象に残った箇所があったのです。
それは少しこの本のメインの話題とは離れているかもしれないのですが、どうしても気になったことなので、これもブログとしてメモしておきます。

《「目標の7〜3バランス」》

無意識のほうは、この5の行動に対し、「かなり大胆な行動をしたな、大丈夫かな……」という不安を持っている。
これに対し、意識が、もし「ちょっと弱気だな。まだまだだ」とダメ出しをしたらどうなるだろう。あるいは、その後結局仕事を請け負うことになり、「結局、自分の主張が通らなかったんだから、0点!」などと、辛口の評価をしたらどうなるだろう。

ここでの話題は、「なんでも仕事を押し付けられるのではなく、上手に断れる自分になりたい!」という、チャレンジを習慣化させていく過程での深層心理的な難しさについて語られています。

しかし、ここであげられている葛藤は、自己変革に限らず、私にはすごく馴染み深い感じがしたのです。
どんな努力のあったどんな結果であっても、両方の自分から結局怒られる。
そういうことが私にはよくあります。

例えば、会社で仕事をして、そこそこ粘って残業してみたけど、思うように進まないから、切り上げて家に帰るぞ、という時。
会社人としての私は、「どうして家族に連絡して、快く残業させてもらえる手はずを整えて、きっちり今日の分をやり遂げなかったんだ!
と怒ります。
それを聞いて、家庭人としての私は、「粘って、バタバタした挙句、これか。これだったら、初めからやり切ろうなんて考えずに、スパッと上がっていれば、もっと時間に余裕を持って子供のお迎えをして、家族の笑顔に貢献できていたのに……!」と、なじります。
これは、こたえますね。

実際には、うまくいくかは未知である仕事のプロジェクトを少しでも前進させようとチャレンジしたわけですし、家族に実質的な迷惑のかかるギリギリ手前で、撤退の判断もできているわけです。

本当は、両方がほどほどに満足してたっていいくらいです。

[完璧主義]×[両方の自分からの自己否定]という、危険な呪いから抜けよう


もちろん、『優柔不断や八方美人が1番いけない』といった反省の仕方や、『段取りこそが大人力』とか『見切り千両』といった教訓の導き方もこの例だとありえますが、今回話題にしたかったテーマは、そこではありません。

もし、自分のことを、2人もの自分が責めているのなら、まずはそのことに気づいて、見落としている『ほめポイント』を探しなおそう!

と、いうことなのです。

 
今日もありがとう。

 
ではまた、どこかで。

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