他人のツイート20個にリプを返したくても、ぐっとこらえて1つにする。
おはようございます。
いっき(@ikkiTime)です。
「10万字インプット・5000字アウトプット」とは
最近少し話題になった、「10万字インプット・5000字アウトプット」というテーマがあります。↓
- ソーシャル疲れに対する処方箋としての「10万字インプット・5000字アウトプット」:[mi]みたいもん!
- 「10万字インプット・5000字アウトプット」について考えてみた | R-style
- 「10万字インプット・5000字アウトプット」の記事を読んで頭に浮かんだことを、言葉にして伝えようとしてみる | タムカイズム
- インプットとアウトプットの量的逆転に早く気がつく、そして両者の関係の(自分勝手な)一考察 | 今日よりいい明日はきっとあるはず
この「10万字インプット・5000字アウトプット」を、私は精神のメンテナンス術として考えてみました。
- 心に焦りを感じたら、アウトプットを減らす。
- 他人のツイート20個にリプを返したくても、ぐっとこらえて1つにする。
- なぜなら、アウトプット欲は、外的に動機付けられているから
この話題にのっておいてなんなんですが、私は「増やそう!」という方向性はあえてはずして読んでみました。
その上で「『20対1(など)の理想的な比率』に自分を調整してみよう」という、自分用の指針を作ってみました。
限られた時間枠の中で、比率を整えるというのであれば、「減らす」ことだって現実的手段として検討されたっていいと思うわけです。
それに、世の中にアウトプット礼賛というか「アウトプットしなければ身に付かない」という論調も広がりすぎてしまった気がするし。
生産量に視点を置けば確かにそうなのだけど、メンタル面のコンディショニングとしては別の見方もできると思います。
私は、ソーシャル疲れ、とは違うのだけど、「アウトプット燃え尽き症候群」と言おうか、疲れてしまった時が過去にあります。
ここにトスして、あそこにパスして、あれは書き留めて……、という感じで妙に気分が急き立てられる感覚。
そして、段々やっていて楽しさが減ってくる。
少し突つくだけで落ちそうな、熟す寸前の実ばかりを、眼を血走らせて探しているような。
アウトプットもまた、外的に動機付けられている
アウトプットが多すぎるというのは、「影響の輪が大きい状態」ではなく、実は「刺激と反応の間にスペースがなくなっている状態」なのではないかということを、今回その時のことを思い出していて考えたのです。
(上記鉤括弧の表現は2つとも『7つの習慣』より)
むしろ、結果として「アウトサイド・イン」になっている可能性すらあるのではないかと。
だから、あえてアウトプットへのアクションを止める。
欲を捨てて、好きなことの世界に没頭する方が心の健康に良くて、長期的にはアウトプット・ライフが長続きする。
アウトプットへの誰かのレスポンスを期待してしまったり、されなくてクヨクヨする時間も小さくなる。炎上しないかとハラハラする時間も減らすことができる。
刺激に反応して、何かアクションを起こすということは、小なりとは言え、本来のリズムを乱されているということだから、長期的に見れば負けにも等しいという考え方だってできる。
……、と言いつつ、刺激を受けるままに、こんな記事を書いてしまった。だって、楽しいんだもん(笑)
きのう丸一日、「今日は、自由時間に生産的なことを何もしないぞ」と決めたら、自分には時間があることにも、自分にはやる気があることにも気づけて、少しましになった。
私休暇、自己休暇のススメ。
— いっき (@ikkiTime) 2013, 9月 26
→ 他の記事も読んでみる(ランダムにジャンプします)。
→ イキブロ | いっきの「生き方」探求ブログ | Top へ。