あなたは日記を書くのが好きですか? 「なんで『苦手』なんだろう?」
おはようございます!
いっき(@ikkiTime)です。
私は思うのです。
「『日記』と一言で言った時、思い浮かべる形式や方法に、あまりに幅がありすぎる」と。
だから色々な人がその人なりのメリットを強調して、「日記は良いよ!」と言っている。それを聞いてしまう。
そして、
「そんないいものを、自分はやっていない……」
「そんないいものなのに、自分は価値を感じられなかった、続かなかった……」
と、自己嫌悪に陥ってしまう。
そんな流れがあるのではないでしょうか。
でも、それは違うと思うのです。
自分に必要なメリットを自分に感じられる範囲で記録して、自分でメリットを感じられる範囲で続けていく(頻度 & 期間)。
それで、「ああ、自分のやったことや思ったことを書いておくって、いいなあ」と感じられれば、それでまずはいいではないですか!
そんなことを、自称「日記コンサルタント」として、イキブロいっきが書いてみようと思います。
(↑いま自称した (ぉ )
目次
1. 日記の形式の整理
日記、という言葉には幅があります。
単に“日常の記録”と考えれば、
- 業務日報(タスク・ログ)
- 今日一日の振り返りノート
- 行動データ(自動・半自動ログ)
これらだって“日記”に、なっちゃいます。
まあ、多くの人の認識では、そうではなく、
「出来事」
「その時に思ったこと」
「それらを振り返って今思っていること」
のような、「人生の情緒的な側面」の含まれた記録のことを、「日記」と考えるのだろうと思います。
では、そういった記録を残して、どんなメリットがあるのでしょうか。
2. 日記を書くことの3つの効力(何を重視するか?)
日記を書くことで得られるメリットについて考えてみると、ぱっと
「今日のダメだった行動を反省する(次に生かす/成長する)」
「今日のよかったことを反芻する」
「行動から傾向を把握する」
……といったことが思い浮かびます。
これらは、いずれも「振り返る」ことで得られるメリットです。
「なんのために日記を書くのか」にもよりますが、得たいメリットがこれらであるなら、確かに “有効なデータ” がある程度たまり、かつ “振り返る習慣” が確立していなければ、日記の良さを味わえないことになります。
しかし「日記を書くこと」のメリットは、振り返りによるものだけではありません。
もっと直接的な効果が、「日記を書く」という行為にはあります。
私は、日記の効力の源泉は、次の3つにまとめられると思っています。
- 手を動かす
- 書き出す
- 振り返る
そうです。「振り返り」は、実は3番目だと思っているんです。
「1.」「2.」については、順に少し詳しく解説してみましょう。
2-1. 手を動かす
例えば私はiki0119の中で「旅行中は毎朝小銭を数える」というTipsを紹介し、実際に数えて並べた写真を掲載しています。
(iki0119|子どもを連れての海外旅行。気づいた事・注意点、3つ+1。)
※ こんな感じ→
この写真は「これ、ブログに書こうー」と思って撮ったわけではありません。
そんな先見の明があるのなら、iki0077(iki0077|パパ、子どものお弁当を作る。)で、写真を撮るのを忘れたりはしなかったでしょう。
ではなぜ、こんな写真をわざわざ撮ったのか。撮っていたのか。
それは、こういった「レビュー」という活動が、どうしても「ただ眺めただけ」になりがちだからです。
記憶に残りにくいのです。
だからせめて、「『記録する』という活動を抱合せることで、深層意識に対して『これは重要な情報である』という信号を送りたかった」のです。
そのために、記録する。
手書きではないけど、視覚的に整えて、カメラを取り出して、シャッターを切る。
そうすることで、日々のちょっとしたことが記憶に残りやすくなる。
これだって、日記をつけることの「価値」です。
2-2. 書き出す
以前、iki0109で「iki0109|「よかったログ」や「嫌なことノート」付けていますか?自分の気持ちをカウンセリング!」というエントリを書いています。 紙のいいところは、紙のどの位置からでも、いきなり書き始められること。 引用元:iki0109|「よかったログ」や「嫌なことノート」付けていますか?自分の気持ちをカウンセリング! | イキブロ
これは『日記』という標題で書いてこそいませんが、“私の「自分の気持ちの振り返り」観”としては結構まとまった記事だと思っています。
以下に少し引用します。
それで、バラバラと頭に浮かんだことを書き散らしていくと、その書き出した単語に対して脳が “5 WHY” 的なことを始めて、その苦しみの原因となる「認知のゆがみ」を見つけてくれることがあります。
このように、嫌なことがあった時に「思考の偏りに気付け」たり、「気持ちの整理をつけられたり」するのが「書き出し」の効力です。
また、この「嫌な出来事をケアする」というテーマでは、さらに前に《iki0080|「小さな箱」から自分を脱出させる“小さなステップ”《後編》(実践編)》というエントリも書いていて、ここでは認知心理学の「5カラム」(「4カラム」とされる場合も)的な手法について触れています。
- 心がダメージを受けたことに気付く
- それを書きとめる
- それを読み返して、慰めの言葉をかける
これは厳密には「5カラム」法ではなくて、『それを独自のアレンジで使っています』、という方法なのですが、さらにさらにそれをする時のアドバイスとして、
(3.) そう感じることで自分 (の本能)は何をしたかったのだろうか?
4. そんな自分にかけてあげる言葉は?
5. (逆に)一方で自分はそんな自分を我慢することで、なにをしようとがんばっていたのか?
(“ (の本能)” の箇所のみ引用時の追記)
嫌なことがあったなら、誰だってそんなことは早く忘れさって、未来を見つめて (あるいは、「今すべきことに集中して」)、進みたいわけです。
でも、それができない。
本能がそれを忘れさせてくれない。
「心が痛むできごと」というのは、生物的には「覚えておきたい」できごとです。
人類の進化の過程で、何かの訳があって「そういう出来事は強く印象に残して、繰り返さないようにしよう」という過去の教訓の蓄積が本能に溜まっていて、それがその情報 (できごと)に過剰な重み付けをしている。
だから、「忘れよう」という意思と無関係に脳内にとどまり続けることになるのです。
だから、「その“本能”がそんなにしてまで守ろうとしているモノ」が何なのか気付いてあげ、そして「その頑張りにも一定の感謝を」捧げると、比較的楽に忘れられることがあります。
これだって、日記をつけることの「価値」なのです。
3. まとめ
いかがでしょう?
毎日続けて、それを振り返るというのは、日記の効力のほんの一部です。
今回紹介した2つの価値については、「毎日継続すること」がそれほど大きな意味を持ちません。
毎日続けなくたって、データ集計できる内容じゃなくったって、さらに、それを読み返す時間を持てなくたって、これだけのメリットを日記から受け取れるのです。
「落ち込んだ時だけ」
「『これ、大切だな、覚えておきたいな』と思った時だけ」
書くんでもいいじゃないですか。
まずは、何かを書きとめる習慣とそのツールを身近に持つことから始めればいいんです。
今日もありがとう。
ではまた、どこかで。
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