皆さま、今日のご機嫌はいかがですか? ご機嫌で週を始められそうでしょうか。
私は、最近は「できるだけ毎日をゴキゲンで過ごしたい」と思うことが増えてきました。
おはようございます。
いっき(@ikkiTime)です。
自分で自分の気分をよくする、ご機嫌になる、と考えても、それはなかなか難しい部分があります。
気分は、体調や環境、直前に受けた刺激など、色々なものの影響を受けるものですから。
それでも、なんとか少しでも自分のことを救い出したい、そんな風に思って工夫していると、時々はうまくいっている気のする「何か」もあるものです。
自分を追い込んでいる自分のクセに気づいて、それを打ち消す呪文をとなえる
呪文をとなえる、ということで言うと、以前には《iki0030|私の呪文公開します。「心配性」を乗り越える》という記事も書きましたが、それとは別に、自分でとなえていきたい呪文があり、今日はそれについて書こうと思います。
「いや、これでいい」
最初はこれ。
何かをしながら、自分の頭の中に 「もっと重要な何かを、忘れているんじゃないか」という考えが浮かんだら、大急ぎでそれに付け加えます。
「もっと重要な何かを、忘れているんじゃないか」という問いは、言うまでもなく重要で、瑣末なことや、刺激的な何かに反応して時間を無駄にしないために、時々は考えることなのでしょう。
ただ、私のように感情主導でこの問いが常時発せられるとなると、自分を落ち着かなくさせたり、やっていることに常に満足できなくさせたりする要因になるのではないかと思っています。
四六時中そう問い続けていても、そんなに、新しい「もっと効果的なやり方」や「もっと重要なこと」があるわけでもないでしょう。
適宜、これをとなえて、中和しましょう。
「いや、これでいい」
「どうするか、より何をしたいか、でしょ?」
さらに、私の既存の口ぐせ(というか思考グセ、でしょうか)には「さて、どーするか」というものもあります。
これは、課題やタスクに対して、闘争心や集中力を失わないための『心象言語』なのだと思います。
(より直接的には、某漫画のセリフだという話もありますが)
『クセ』なので、特に何かの問題についての対処法を考えている時でなくても、半分無意識に浮かんでいることがあります。
これには、次のように続けることにしました。
「どうするか、より何をしたいか、でしょ?」
課題解決だけが、自分の存在理由ではないのですから。
(だけが存在価値、という可能性はありますが)
「別にすべての問題を自分の代で解決しなくてもいい」
他にも、「別にすべての問題を自分の代で解決しなくてもいい」なんてものも考えました。
どうも人の脳というのは、「問題に対処する」ということに相性が良すぎるらしく、社会構造のような「自力のみ、短期での根本的解決は、不可能な問題」にまで、責任感を持って必死に解を探してしまいます。
その答えが『できるわけがない』だと落ち込んでみたり、『世界征服でもするしかない』だとダークな気持ちになってみたりするわけですが、そもそもが無理難題なのですから、本当はそんな気持ちになる必要はないのですよね。
そんなわけで、大きすぎる責任感を一度リセットするのに、こんなセリフを考えたわけです。
「別にすべての問題を自分の代で解決しなくてもいい」
いかがでしたでしょうか。
自分のクセに、ご機嫌でなくなる理由があるのなら、なるべくそれに寄り添って、少しくらいはそれを制御する。
そんなことができるといいですよね。
今日もありがとう。
ではまた、どこかで。
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