おはようございます。
いっき(@ikkiTime)です。
先日、マロ。さんがfmj (ファミリーマネジメントジャーナル)の中で、パートナーとの子育てに関する話題として、『自分の小さな「箱」から脱出する方法』という本の話題をしていました。
頑張っているのに分かってくれないと思った時に | ファミリーマネジメントジャーナル
この記事を読んでいて、ハッとするというか、目から鱗が落ちるというか、自分の思いの“囚われ”に気付かせてもらい、煮詰まっていた気持ちを解放してもらえたような気がします。
『自分の小さな「箱」から脱出する方法』にしていた誤解と、またした誤解
ところで、この記事で紹介されている本、『自分の小さな「箱」から脱出する方法』についてです。
この本の存在そのものは以前から知っていたのですが、読むにはいたっていませんでした。
今回この記事を読み進めるうちに、自分がずいぶんと誤った先入観をこの本に持っていたことと、さらに誤った早合点を途中でしてしまったので、そのあたりについて今回のエントリを書いてみます。
一つ目の誤解:なぜ『箱』に入ってしまうのかについての考察
私がこの本のタイトルや紹介を最初に知った時、『箱』という言葉から受けた印象は、
「臆病、防衛本能、偏見、高慢、狭い見識などのせいで、正しい判断や行動ができない状態になっている人」
というもので、そのため、この本のアドバイスは最終的に、
「なんとしても、その自分の殻を打ち破らなければならない」
……という発破をかける方向にいくのだろうなあ、と思っていました。
生来の性格と、育ってきた環境のせいて歪んでしまった人格を、自分の意思の力で乗り越えよう、という、ある意味では一過性のモデルだと思ったわけです。
でも、どうやら違うようです。
マロ。さんのまとめた文章を引用してみましょう。
この本の中で育児にも関係して「箱」についてが分かりやすいのが子供の夜泣きの時の話です。
泣き声に気づいた夫が、疲れて寝ている妻のために「子供をあやさなくては」と思ったけれど、その時に「あやさない」という「自分の気持ちへの裏切り」をしました。
その途端に「自分を正当化」するために隣で寝ている妻が怠け者で、鈍感で、夫を評価していないなどと思うようになり、同時に自分のことを被害者で、敏感で、よき父でありよき夫であると思うようになります。
この状態を本のなかでは「箱に入っている」と表現しています。
自分の気持ちを抑えて (裏切って)何か行動するたびに、自分の心が箱に入ってしまう。
これは恐ろしいです。
大人である以上、そうした場面は必ずあって、そのたびに、この重苦しくて冷たい世界に落ち込む可能性があるなんて。
ですが恐ろしいと同時に、この本の実際のモデルの方が私の思い込んでいたときのモデルよりも、よりリアルでかつ実用的だということも理解できます。
さて、ではこの箱から脱出するにはどうすればいいのでしょうか。
ここからが、今回マロ。さんの記事を読みながらしてしまった2つめの誤解になります。
誤解その2:箱から脱出するための考え方
映画やドラマ、漫画やアニメなどを見ていると、その先の展開を自分で予想してしまって、後で「そんな展開になるんだ!」と驚くことがあります。
そして「自分の考えた結末のほうが面白い」等と吹聴しまうこともありますよね。 (苦笑)
今回はあえて、それをやってみようというわけです。
まずは、再びマロ。さんによるこの本のまとめを引用します。
箱から出るのには、箱に入っていることを認識して箱から出たいと思うこと。
また、相手を自分と同等な人としてあつかうこと。
とこの本では言っています。
箱から出るのには、
- 箱に入っていることを認識して箱から出たいと思うこと。
- 相手を自分と同等な人としてあつかうこと。
これはこれで本質的な考え方だと思います。
では、私の勝手読みから生まれた「箱から出る方法」はどうなるのでしょうか。
私の考えた「『小さな箱』から出るために」
- 自分が「箱に入った」と思ったら、自分を慰めること(自分を箱から出す)
- こまめに出す
- 何度でも出す
少し解説しますね。
1. 自分が「箱に入った」と思ったら、自分を慰めること(自分を箱から出す)
どうやって出すのか。
これには、書き留めておいて、自分で自分を慰めるのが、一歩目としては一番効果的なのではないかと思います。
自分は過去のエントリでも、日記などを書く際には、その日起きた嫌なことに対する「自分慰め」を、「よかった探し」などと並んで重視していたことを書いています。
ちょっとした自分セラピー、自分カウンセリングですね。
それが最近では、さらにライフログや日次レビューの考え方と結びつくことで、より使いやすくなってきたな、と思ってきたところです。
ですので、書き留めること、強がらないこと、見なかったことにしないことがここでのポイントではないかと思います。
2. こまめに出す
自分は、「箱から出す」と他動詞で表現しました。
先ほど「日次レビュー」の話を出しましたが、自分の場合、翌日の朝など気分が切り替わった段階で記録を読み返します。
そして自分で自分に「あれは大変だったね。よくがんばったよ」などと、一言まとめをレビューの最後に付ける訳です。
これは、「傷ついた自分が慰められる」ことで元気が出ることもありますが、「レビュー者としての、より高次元の自分」の下に、「傷つき、囚われてしまった自分」が、その一構成要素として位置づけられ、さらに「それを慰める自分」が並置されることで、より自分を客観視できるようになるという効果もあります。
ただ、間が空き過ぎるのも問題だと思います。
嫌な気分が慢性化しますし、慰めの言葉も届きにくくなりすから。
3. 何度でも出す
そしてこれは、ためてはいけないのです。何十重にも箱が育つと、壊すのがその分大変になりますし、ゆがみのパワーも大きくなります。
だから壊しましょう。何度でも。
そのたびに。
まとめ
いかがでしょうか? それなりに、誰かにとっては、「それなりに実用的」なものになっているのではないかと思うのですが。
あ、ただ、私のモデルだと「自分が傷つくきっかけになった《相手》への視点」が、ないですね……。
このあたりは原典及びマロ。さんにゆずりましょう。
「相手への愛があれば、必ずや真実の流れに立ち戻れる」というのは、ちょっと西洋風の発想……、みたいなところがあるかな?
ちょっと今回の記事は、「後編」を書いてみたい気もします。
そこはまた、明日気が向きましたら。
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今日もありがとう。
ではまた、どこかで。
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