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iki0216|子供に読書を……、「させる」!ことへの意思と後ろめたさ

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夏休み終了。
ふう。

小学3年生の長男に、「これ、夏休みに読んでみな」と『二分間の冒険』を提示し、なんじゃかじゃと発破をかけながら、読み終わらせることに成功した。

満足そうに、「こんなシーンがあってさぁ……!」と、頼まれもしないのに、向こうから親へ感情の共有をはかってきたから、まあちゃんと楽しみはしたのだろう。よかった。

子供読書


日ごろ読書する習慣を持たない息子には、
物語が佳境に差しかかるまで、どうしても「タイマーかけて、毎日10分ずつとかでいいから、読み進めてごらん」「ほら、今日の分を始めよう?」とか、監督が必要になる。

それに、普段からたくさん本を読んでいるなら、数の中から選ぶこともできるし、「自分での自分なりの本選びのコツ」みたいなものも育っていることが期待できる。そう、夏休みの宿題みたいなときにも。

けど、『自分で、よくわからないままに、エイッ、とやってみたら、残念な結果になった……』という体験を重ねさせてしまわないためには、親も力の及ぶ範囲では、介入するしかないかな、と思っている。

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うちの小学校の夏休みは、まだ読書感想文がない。でも、夏休み明けには指導するから、「読書をして、その読書メモを作っておきましょう」という形の宿題が出る。

まあ、あと “マス目を埋める” だけなら、なんとかして埋めきってしまうことだろう。
そういう、「課題に対するファイト」みたいなものは、持っている子だから。

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冒頭で、「提示し・読ませた」ということを書いた。
実は、一学期の読書月間__各学期に一度、学校側が仕掛けてくれる__のときに、『親から子への課題図書リスト:3年生版』みたいなのを構想してみたことがある。

今回の夏休みに入るとき、そこから 2冊をわたした形になる(実際には、3冊わたそうとして、進展を見ながら1冊引っ込めた)。

これは指摘されるまでもなくハイリスクだ。
そして、親としての「あるべき対応」ではないのではないか、という葛藤が、自分の中にすらある。

息子の中で、読書が『強制されてするもの』に、なってしまうのではないかと。

今のところは、いい。
「お父さんに薦められた本は、読む前はすごく長そうに思えるし、読むのは実際初めのうちは大変だけど、ちゃんと読んでみると確かにこれまでいつもおもしろかった!」
という信頼感が積み重なっているうちは。

でも、一度そこがくずれたら、おそらくちょっとやそっとでは取り返せない。

「大人に勧められる本は、いつも楽しくない」ということになると、完全に苦行だ。

そうなったら、どれだけの名作が構想に残っていても、数年は手をひくだろう。

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息子は、放っておくと、本を読まない。
課題に対するファイトはあるから、“読書月間”のようなときに、読書リストをたくさん埋めようとはする。
冊数稼ぎに絵本を読みまくろうとすることが、ついこの間まであって、ちょっとたしなめないといけないくらいだ。

でも、日常的に、自分の楽しみのために読むことは__気晴らしや暇つぶしを含めて__ほぼない。

テレビでアニメは見る。だから、「物語を受けつけない」というわけではなさそうだ。
超アウトドア派だったり、超社交的で落ち着きがない、というわけでもない。
ゲームの攻略本を舐めるように、毎日毎日、飽きもせず読んでいたりはするわけで、文字情報に抵抗があるわけでもなさそうだ。
「知識 大好きっ子」なのかとも思ったけど、「ひみつシリーズ」なんかへの相性はあまりよくない。
多少は、自我がデータベース脳なところがあるかもしれないけど、際立っているわけではないのだろう。

__


だから、私がリスクを取り、教養人からは不粋に見られることを承知で、こんな苦労を継続しているのは、“いつか、興味を引かれる本に出会ったとき” に、1ページ開いてみて、腰がひけてしまわないため。
自分に経験がないほど多い文字が並んでいるのを見て、なんとなく「自分には無理なんじゃないか」という感覚を抱いて、諦めてしまわないといいな、と考えているからなのだ。

本当、うちの息子くんは、「おれ、国語が苦手になる前に、くもんの教室で、算数だけじゃなくて国語もやってみてもいいかなって思うんだよ」なんてことを言ってきてくれたりする。
本当にいい子すぎるし、頼もしすぎるんだけど、今はまだ、ロジカル運用能力をスキルとして伸ばすよりも、1にも2にも読み書きの物量の方が大事だと、私は思っている。

だからこそ、なんとか、『楽しさがそこにはある』というところへ導いてあげたいと思うのだ。

それに、「今だからこそ、心にひびく物語体験」というものも、きっとあるのだと思うからさ。

だから、「いつか、自発的に本を読みたくなることもあるよ」という楽観に身をゆだねるのは、私には恐いことでもあるのだよ。
「親は何もしないのが一番いい」と、してしまうのは。

子供に本を読ませるむずかしさ


それで、こういう選書をやろうとして、本当に難しいと感じたのは、

3年生なら3年生にとって、

そのときどきにどっぷりと浸って楽しめる物語を『文字』で読むのは、__ごく一部の3年生をのぞいては__、そのときの読書体力にとって限界いっぱいいっぱいだということ。

だから、無駄弾を数打つわけにはいかない。
圧倒的な打率がいる。安打数ではだめだ。
だからといって、薄味や無難にも逃げられない。
それでは、大変な思いをして、活字を読み解く甲斐がない。

一球一球、「もし今、たった一冊だけすすめるとしたら?」という丁寧さで考えるしかない。

だから、自分が子供の頃に読んでおもしろかったと感じた本でも、世間で “時代を超えた文学的名作” と位置付けられている本でも、それだけで『今』薦める1冊に選ぶことはできない。

自分の目で、いまもう一回開いてみて、「ついこの前、息子くんが読み通せた本」とくらべて、難易度が上がりすぎてないか。

そういうことは、最低限確認する。

 
そして、読み終えたあとの反応も。
いまのところ、特に親の顔色をうかがったり、気を使ったりする様子はなく、素直に感想をもらえるので、そこのところはありがたい。

そういう流れがあって、今回は読み終えたときの表情が、マンガのドラえもんの感想を話してくれるときや、ゲームの妖怪ウォッチの今日のプレイ報告をしてくれるときの表情と同じくらい笑顔だったから、ひとまずはロープを渡り続けられたということだろうか。

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40文字×15行×226ページ分。
それが私たちの現在地。

それだけの足腰は仕込んであげることはできた。
てきればいつか、親の手を離れるときに、「自分の読みたい本」を見つけてほしい。

まあ、なんならそれが中二病でいいから。

今回すすめた本が、これまでにすすめてきた3冊とあわせて、いつかふっと「そういえば昔、こんな感じのお話を読んだことがあったな。正確にはどんなシーンだったっけ?」と思い出すものになってくれたらいいな。


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