らしたさんを囲む会(参考記事→《iki0206|らしたさんを囲む会、開催しました!(当日タグは #2015らした会 )》)でのトピックの一つ。
“セルフブランディング”
くらちさん司会による、セルフブランディング・トーク。
このとき、ふっと気になったフレーズと、その後に私がゆっくりと考えたことについて。
この日、司会をしていた倉知さんが、まずは「いつごろから出てきた考え方だったのか?」という形で、過去のビジネス書などを上げながら、この話題周辺の知識のおさらいをしてくれました。
その概説を受ける形で、倉下さんが言ったひとことめを要約するなら、こんな感じだったと思います。
「コカコーラの企業サイトでも、私達の作る個人ページでも、インターネットの世界では同じ1つのページとして扱われる。
その意味で、同じ力を持っているとも言える。
ツイッターなどのSNSもそうで、IT企業社長のアカウントでも、私のアカウントでも、画面上で表示される幅は同じ。そんなことは、過去なかったわけですから」
個人が力を持てるようになったから、盛り上がるようになったテーマだということ。
それがおもてのテーマだったのでしょう。
いまの時代、個人が力を持てるようになった!
ただ、私の琴線に引っかかったのは、そういったエモーショナルな部分ではなく、もっとクールな側面でした。
(まあ、企業ページは、中の人をたくさん抱えられるから、デザインの凝り具合や更新頻度はきっと個人とは違うし、某元社長と私たちだと、ツイッター上でのフォロワー数は全然違う、といったことはあるにせよ)
「ツールが出てきたことで生まれてきた考え方」という定義付けを聞いて、私の感じたこと
新たなツールによって、可能になった活動。その見方は、私にとっては新しかった。
産業の変化、働き方の変化といった、《社会の変遷》《社会の要請》によって、自然発生的に生まれた潮流ではないのだ、と。
そうだとすると、ある課題に対する解答として、体系立った手法が組みあがり、それに必要で効果的なツールが選別された結果、いまの姿になっているわけではない、ということになります。
まったく、トップダウンではない。
すごいツールがでてきたので、みんな色々いじりながら、そのいじり方を工夫しているだけ。
露悪的な言い方をすれば、我々みんな、目新しい道具を見つけて舞い上がっているサル(笑) だってことですよ。
もちろん、それまでにも『組織に所属して働く以外の生き方』をしていた人はいたわけだから、ニーズは脈々とあったはずです。
人脈や評判の作り方を考えたりね。だけどそのころは、“ブランディング”というほど広く人の目に見えるほどの“技術の集積”ではなかった。
「ツールによって可能になった」ということは
そのツールでできることはできる。やれないことは、できない。あくまでツールの特性に依存しているということですね。
作曲家が曲をinstagramに乗せるということはできない。自分をフォローすらしてくれない人を含めたすべてのメールアカウントに情報をプッシュすることもできない。
「友達の友達まで」と制限のかかったフィードをそうでない人が読んで感想を伝えることもできない。
その制約のなかでしか、私たちも、一歩先ゆく人もやってない。難しく考える必要はない。
そして、ツールの外側では、引き続き私たちの力は限られたままで、大したことはなにもできないまま。
それなら私たちは大丈夫だ。私たちはすでに知っている。
ツールの使い方と選び方
ツイッターでできることは、ツイートだ。
ブログでできるのは、記事を書くことだ。
別に魔法のような何かができるわけじゃない。
だけど、きちんと考えるべきなポイントは、確かにある。
もちろん、同じ「ブログ作成エンジン」を使っていても、アフィリエイトに特化することもできるし、ただの自分の備忘録的日記にもできるし、ニュース速報にもできて、できる幅を工夫することはできる。
そのツールで伝えられるものは、なにか。
いくつのツールを同時に使うのか。
そのツールでつながれる相手は、どれくらいの身近さの何人くらいの人までなのか。
そこだけ慎重に選べば、それでいい。
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