自分が今の仕事をしているのはなぜか、ということを、自分の子供のような第三者に説明するのは難しい。形に残る仕事をしたいから建設、とか自分の手で何かを作りたいからSI、とかではない。
そうではなくて、「会社員こそが天職だ」と思うことがある。
業務を回す。
とにかく回す。その中でリズムを整え、作業のレベルを守り、日々の作業に意味を残していく。実現可能なペースを見極めて、日々のルーチンが破綻しないような、ぎりぎりの計画と中間目標をボトムアップしていく。
判断すること。行動の結果得られた“世界のゆらぎ”に対して、適切に意味を残す。
判断のハブになること。
みんなの判断に必要な情報の流通を司ること。
そういう精神活動そのものが、深く心地よい。
だから、その企業や業界が「人類社会に何を提供しているか」は、私には本当のところ、あまり興味がない。
弱者から搾り取るような仕事じゃないといいな、くらいのものだ。だからできたら、この能力そのものを一つの職種として世に確立して、色んな業界を渡り歩けたらいいのに、くらいのことを思うことがある。
そうだ。
「別にサラリーマンの楽しさ」というのは、社内政治だの、経費をごまかしてもうけることだの、社内恋愛や赤提灯だけではないのだ。
報連相とWBSとプロジェクト管理だけあれば、十分だ。より正しく上位目的を理解して、前工程の意図と後工程のニーズを推測して、あるべき「自分の作業」の質を高めていく。
前時代の遺物かもしれないけど
ただ、私が好きなこういった管理作業そのものは、別にお客さんに利益を与えていないし、近い将来ロボットに取って代わられるのかもしれない。職務経歴書に書いたって、大してかっこよくならない。そんな迷いはいつもある。
そんな一方で、たとえば『営業が仕事を放り込み、主力社員は職人気質で、新人が次々使い潰されていくような職場』に、そういう「整えるの好き」な人がはまると、不思議な安定をその場所に生み出す。と思っている。
仕事の楽しさ
仕事の楽しさというのは不思議です。
別にすごく好きだと言う訳では無い。年金がもらえるって言うならすぐにでもやめたっていい。
別に残業がしたいわけでもない。さっさと帰りたい。
そんな風に毎日疲れている。
ただ、取り組んでいることがあって、そこに美意識を込められるなら、それは楽しいとも思う。
「“会社員をする” ことこそが楽しい」と言ったら、君は僕を、犬だと笑うだろうか。
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