おはようございます。
いっき(@ikkiTime)です。
最近、ふと、「あ、いま楽しいな」と感じる瞬間が何度かありました。
子育てをしていて、そんなことを感じたことは長らくなかったので、自分で自分が新鮮でした。
考えられる理由はいくつかあります。例えば、
- 下の子が少しずつ、イヤイヤ期前期の「破裂期・なんにでも立ち止まっちゃう期」から、後期の「頑固・いじけ期」になってきて、以前ほど気分が不安定ではなくなってきたことや、
- 下の子が、一定時間テレビを見ていられるようになって、親がゆっくり思考できる時間ができてきたこと。
- 上の子が、言葉での説得が可能になってきたことや、
- 上の子が、「明日の支度は、前日のうちにしておくもの」「宿題は必ずやっていくもの」という、規範意識のようなモチベーションを自分で持ち始めてくれたこと。それで、いちいち指示しなければいけない回数が減ってきたこととか。
子供自身のモチベーションを手助けする
そういった、「ラクになった」要因ももちろんたくさんあったのだけど、でも、何より「上の子が独自の動機を持ち始めたことで、その支援に親が徹せる場面が増えてきた」こと。これがすごく大きい。
やる気があって、言われたことをちゃんとやってくれる相手のために、あれこれ考えるのは、私には楽しいようです。プロデュースワークのようなこと。私はやっぱり、そういうのが得意だし、楽しいんだな、と。
逆に、動機付けそのものに親が手をかけて誘導してやらないといけなかったときは、本当に苦労ばかり多くて成果が少ない、と、そんな風に感じたし、やるのが精神的にもつらかった。
(いや、今も少なからずそうなんだけど)
「よりそい」と「関わりかけ」が大事だったステージから、応援と支援のステージへ。
このあたり、人によって色々な感じ方はあるだろうけど、私の場合はそういうことが不得手だったのだろうと思う。
「でも、今のうちにトイレに行っておいた方が、ゆっくり遊べて楽しいかもよ?! そうだ、スキップで行ったら、楽しい気持ちになるかもしれないよね? そうそう、息子君、スキップ上手なんだよね、見せて見せて! 上手だったら、きっと褒めたくなっちゃうな〜!!」
なんてことを、こっちが誘いかけてやらなきゃいけないなんてのは。
(しかも、ここまで迎合しても、さっぱり結果が出なかったりするのだから)
それだけが育児の楽しさではないけれど
もちろん、その他にも楽しいシーンというのは、今までにはちゃんとあった。
例えば2人目の子の新生児期は、経験からくる余裕もあって楽しく感じられたし、
1人目の子が初めて目が追い始めたり笑い始める時期は、他のことが考えられないくらい、“可愛いと思う気持ち”があふれほとばしっていた記憶がある。
それでも、やっぱり「他人の目標ややる気に感応できる」ってのは、じんわりと親のモチベーションまであたためてくれるものなんだな、と再認識する日々です。
2人目のイヤイヤ期以降、ちょっと苦しかったけど。またがんばろう。そんな気持ちになります。
今日もありがとう。
ではまた、どこかで。
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