ブログをお書きの皆さま。今日の情報はみんなのお役に立てる会心のネタですか? それとも小さな気づきですか?
今日は、「小さな記事」って楽しいよね、というお話です。
おはようございます。
いっき(@ikkiTime)です。
人はどうやってブロガーになるのでしょう。
私はいまだに、「ブロガーとしての自分」という意識で町を歩いたり、情報を探したりできるようになっていませんし、チャレンジに失敗した時などに「あ、これはネタになる!」と思えたりもしません。
ただ最近、ブログを書くことが、生活の中に「少しは馴染んできたかな?」と感じるようになってきましたので、それについて思い当たったことを書こうと思います。
人はいつブロガーになるのか。
それが、万人に受ける大きな情報を流した時ではなく、『これ、自分にしか意味がないかもなー。』という小さな情報を流した時なのではないか、という仮説です。
私の考えた範囲で、小さな記事には3つのメリットがあります。
切実であること、等身大であること、自己開示であること、です。
切実であること
たとえば、私はiki0052 で、「結局話題のプラグインが使えなくて、phpMyAdminでバックアップをしている」ということを書いています。
(iki0052|バックアッププラグインが使えない (WP-DBManager,BackWPup))
『プラグインを使えば全自動で超便利』という記事ではないので、あまりかっこよくはありません。
それでも、やっと必要な情報に気づいて、バックアップを取りホッとした気持ちから始まった記事です。
こういう、『切実な気持ちを処理できた』記事や体験は、自分の気持ちと自分のブログを結び付けてくれます。
等身大であること
たとえば、iki0061で、次のようなことを書きました。
私の場合、ブログ記事の総数が、昨日は54、今日は55、と増えていく感覚は、なかなか楽しいものでした。
(中略)
おそらく『50』という、よりキリのいい数字が、「一つのカタマリ」を感じさせてくれるのでしょう。
ある意味、言いたいことはこれだけなのですね。
文字数も小さな記事です。
それだけに、「そんなことで記事を一本書いてしまうほど盛り上がっている」という自分の個性がそこに出ています。
また、そんな小さなネタをあえて発信していくことが、「格好良くない自分」を引き受けていくことにもなっています。
それだけに愛しい記事でもあります。
自己開示であること
レゴの話を、iki0058、iki0059、で書きました。
(iki0058|大人レゴ始めました。ー毎日がご機嫌であるために。その2ー)
(iki0059|大人になってからレゴをやると (感想))
非常にしょーもない話です(笑)
大人が真剣になって、おもちゃで遊んでいるだけなのですから。
ただ、こういうことを開示していけることで、自分のブログに親しみを感じることができるようになる気がします。
だって、こういう『しょーもない』話、というのはなかなかできる場がなくて、それだけに貴重なのです。
まとめると
どうでもいい記事は、より身体的で、ずっと等身大なのです。
身体的で等身大。
それでいて、他の人には書けない市井の声でもあります。
実はそれが、「ブロガーとしての自分」という自我を作る第一歩かもしれない、と思うわけです。
自己開示であるとともに、自分の血肉となった文章なのですから。
デメリット
ただ、それは客観的にはリスクに感じられます。
検索流入が期待できない場合が多いですし、読んでもらえても共感が得られにくいかもしれませんから。
両方をブログのレパートリーの中に持つ
そういう意味では、「背伸びして書く大きな記事」と、「等身大の小さな記事」。
その両方をブログのレパートリーの中に持つようにしていくといいのかもしれません。
今日もありがとう。
ではまた、どこかで。
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