生きる上で浴びせられるたくさんの現実と、それに振り回される脳をさばいていくための方法。
おはようございます。
いっき(@ikkiTime)です。
知的生産の方法や道具は、「発想法」として語られたり工夫されることが多いけど、私はそれをストレス軽減のために転用している場面が多い気がします。
ちょっと、思考の整理がてら紹介いたします。
情報カード
ゆる系名言や人生・社会の多様性を思い出させてくれる言葉をかき集めて束にしてあります。
自分ほめなんかも。
根を詰めて仕事をしていて、「思考が凝り固まってきたなー」と思ったら、適当に何枚か読みます。
午後に差しかかり疲れが出てくると、思考に柔軟性がなくなってくる。
そんなときに、休憩とともにやってみているのが、これをめくることだったりするわけです。
ノート
頭がもやもやしたことを書き出したり、仕事中に仕事後のことを思いついたり、そんな時にとりあえず書く。
もっとも、「おっ、これ、俺名言!」みたいに自分の中で価値があることがはっきりした思考であれば、iPhoneからPostEver2で直接メモすることもあります。
が、もう少しメタ情報が必要だったりで長さのある文が思い浮かんでいた時は、まずノートに書いてしまいます。
書き出した思考は、あとでツイートになったり、やっぱりPostEver2に送られたり、書いている最中のブログ記事の一節になったりしますが、そのまま「ノートに置きっ放し」に、なることもよくあります(苦笑)
でも、そういうものはそれはそれでいいわけです。アウトプットの出口を見つけられなかったということですから。
ときどき、パラパラと見直して、目に入ればそれでOK。
そんな「第一書き出し先」としてのアナログノートのいいところは、「余白」というアフォーダンスがあること、カーソル位置を確認しなくていいこと、ツールの側から語りかけるチカラが弱いこと。
どうしても、メールソフトやタスクリストを開けてしまうと、重要情報が周辺から飛び込んできて、今考えようとしていたことを忘れてしまうということがよく起きるので。
新着のメールとか、寝かせ中の長期ミッションとかが。
タスクの場合も、まずノートに書き出してから、それぞれに見積もり時間を付けて、それを積み上げる段階でTaskChuteを起動することもあります。
ザ表計算。
ブログ
自分の思念を外部化するのにも、なかなかよいのです。情念を塗りこめて切り離す。
1つの考えを、「エントリ」という完成系に封じ込めることで、「やりきった感」も出てくるし、人に伝わりやすい表現を工夫することで、情念との距離もとれてくる。
ある程度まで育ってしまった思考は、ノートに書くくらいでは眠ってくれない。
一度、ひとつの思念に凝りかたまると、中々そこから離れられない私には、考えをまとめた上で捨てていく活動が必要だ。
後記
こうしてみると、「発想法」に位置付けられる活動がなく、むしろアイデアを「捨てよう、捨てよう」としているかのような配役が、自分でもよく分かります。
「発想法」としての活動をしていないのが、微妙にコンプレックスだったりはするのですが。
新しい発想を得ることが大事な側面と同様に、その時々で生じてしまう「反応」や「雑念」「執着」のようなものをどう処理していくか。
白い紙にどんどん書いては、捨てて、振り返りもしないかのように。
絶えず考え続けてしまうし、雑念にすら、つい集中して考えようとしてしまうクセを、中和する必要に迫られているのかもしれない。日常的には。
いかに、目の前の判断に集中できるようにしていくか。それも私の人生では大切なのです。
今日もありがとう。
ではまた、どこかで。
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