“経済学” とタイトルは打たれていますが、色々なインスピレーションを受け取れるのがこの本の魅力。
今日は社会論、働き方として読んでみます。
おはようございます。
いっき(@ikkiTime)です。
iki0072では、あえてブログ論として読んでみた、『評価と贈与の経済学』。
(iki0072|「評価と贈与の経済学」をブログ論として読んでみる。)
今日は、もう少し本来の読み方に近い形で、社会論や働き方についての考え方をくみ取ってみましょう。
パスを出す人のところにパスが集まる。まずパスを出す。
その十億円をどう分けて、誰と誰にパスしたら、いちばんファンタスティックな展開になるかな……ということを空想していないと。「ほかの人間が誰も思いつかないような使い道」を脳内で妄想している人間のところにいきなりパスが来るんです。 (P151)
パス出さないで持っていると、次のパスが来ない。
来たらすぐにワンタッチでパスを出すようなプレイヤーのところに選択的にパスが集まる。 (P149)
上下関係のない、水平方向の「下請け・孫請け」のリレーのようなことが起きるのでしょうね。
何でも1人ではできない。だから他の人の力を借りる。それを一番うまくやってくれそうな人のところに声をかける。
そのリレー。
その中に入っていこうと思えば、 他人に(面倒ごとじゃなくて)、親切や敬意や、チャンスや貢献こそを“振って”いくことが大切になってくるのかもしれない。
そのためには、
仕事もらいに行くのではなく「何かやることありますか?」というお手伝いをしに行く。無理矢理仕事を作る。そういったことも大切ですよね。(P162)
だからそうした発想を逆転させて、仕事をしたいところに行って勝手にお手伝いをはじめてしまえばいい。そして大切なのはそれに対して見返りを求めない、ということですよね。報酬というのはいつかどこかから必ずやってくるのだから。まずはお手伝いという形で起点を作る。(P162)
先に「貢献に向かう」「生産できる」フローを持っていることにしてしまう。そしてそれを報告する、と。
まず誰かを助ける人だという流れを作ってしまう方が、最終的には早いのかもしれない。
若い人は「パスは受けるもの、まずはパスは来るものなんだ、でも上の世代がパスを出さないからいつまで経ってもボールが回って来ないんだ」と考えがち。「オレたちが、うまくいかないのは老害たちのせいだ」って。
(P162)
……、と考えるのじゃなくて、ですね。まさしく、「考えがち」ですけどね。
気楽に、楽しくできることから、行動を起こす、あるいは行動できそうな小さなアクションを探してみましょうか。
内田他人がいいと思わなかったら意味ないじゃん。
岡田いい人になろうとするんじゃなくて、いいことをするってのが本筋ですかね。 (P178)
このあたり、精神修養をしなくてよくなるので、少し気が楽になるかもですね。
その方が、善性のセルフブランディングにつながっていくような気がしますし。
それとも、行動に移さなきゃならない分だけ大変?
2. 自分の中の心理的抵抗を振り払う考え方。2つのポイント。
自分がすでに受け取っているものはたくさんある
自分には、提供できるような余裕もないし、能力もない、と思いがちだけど、本当は結構な何かを持っているはずなんですよね。
上の世代を恨んでいるけど親は恨めないという、彼らの優しさにある意味つけこんで、「親の恩は全部忘れていい。親に恩を返そうというという責任感を持たなくていい。
その代わり、下の世代に返してやれ」と言ってあげるのも一手かもしれません。親の恩を忘れろってむちゃくちゃなんですけど「親のことはもう考えなくていいから」って言ってあげると肩の荷が下りる気がするんですよ。(P161)
だから幸せな国に生まれたことは後ろめたく思う必要もない。
どう貢献するかだけを考えていれば良い。
ただ、これは心理的には難しいところもありますよね。
よくしてくれたその人に、何かを返すことの方が反応として自然ですから。
それにどうしても、生きていて一番『ありがたい』って感じることって、目上の人に引き上げてもらった時なんだろうから、そうしたらそれを全力で『お返ししなきゃ!』ってなりそうなものです。
仮にそんなことをしても、年長者や先生からは「パスはオレに返すものじゃない」って言われるだけです。「パスはパスを待っている次のプレイヤーに送るんだよって」 (P163)
でも、実はそれをその人に返しても、あまりありがたくは思ってもらえないかもしれない。
(だって自分のレベルが下なんだから)
それよりは、それを積極的に活用して、次の世代と何かを分け合っていけるコミュニティを築き上げた方が、後で「ああ、あの時あいつを支援してあげて良かったな」と思ってもらえるのかもしれないですね。
努力というのも、自分が自分のためにしたものばかりではない。
努力していない人はいませんから、どうしても、成果を得ると、心理的には「これは俺が自分の努力によって獲得したもの」というように感じてしまう。
でも、客観的に見ればそうではない、ということもまとめられています。
いましている努力に対して未来の報酬が約束されないと働く気がしないという人が増えてきたけどさ、いましている努力に対して未来の報酬が約束された時代なんて、これまでだってなかったんだよ。だって、明治維新からあと、二十年おきに戦争してたんだぜ。(P53)
努力と報酬が相関するというのは、理想なの。はっきり言えば、嘘なの。(P54)
岡田 努力と報酬って一致しないですよね。能力と報酬も一致しない。
内田 しない。
岡田 学生にもさんざん言って初めて「報酬は運である」って少しわかってもらえる。運だからこそ、成功したら他人に回さないといけないわけですよね。でないと運であるものを自分ひとりが取ったらネコババです。ネコババはバチが当たりますってのが昔からの教えですからね。
内田 本来自分に属さないものを自分が得たってことだからね。(P54)
自分の稼ぎ出した分を、抱え込んでしまってもいけない。
やっぱり、パスしなくてはいけないのですね。そういう謙虚さが、これからの人と人とのつながりには必要になってくるということなのでしょう。
というところで、最初につながっていくのですね。
まとめ
何かを得たら、誰かと分かち合ってパスを出す。
それが、いざという時の仲間を作ることにもつながっていくし、仕事を作ることにもなっていく。
それが善性のアウトプットやブランディングにもなっていく。
気付いている人や、感じることのできる人には当たり前のことなのかもしれないです。
でも、つい社会や他人に対しては、何というんでしょう、こう『炎上させられないように細心の注意を払っていなきゃ…』という感覚が根っこから抜けない、私のような人間には強烈に納得感のあるガイドラインでした。
今日もありがとう。
ではまた、どこかで。
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