子育てしながら、「んっ?」と気になることって、時々あります。
やたらごろごろしてる、とか、食に興味がない、とか。気になるといえば気になるけど、私なりに「大らかでいよう」と思えることもあります。
やたらごろごろする。
テレビを床に寝て見る。漫画を床に寝そべって読む。
気になる人は気になるのだろうなあ、と思うのですが、自分自身もそうだったから、苦笑しつつ見守るしかない。
でも、親になった視線からすると、“だらしない”、とか “体力がないのかも?” という風にも見えてしまう。もしかすると “失礼な!” とか。
じゃあ、私はなんだってあの頃、あんなにごろごろしていたんだろう? と考えてみて思いついたことが一つありました。
あれは、「極度集中タイプ」なのです。
集中と脱力
集中すると、そのことに必要なこと以外のすべての筋肉を本能的に脱力させようとする。脱力させないと自分の中が落ち着かない。
だから、座っている姿勢よりも、最終的に寝っころがってしまうのですね。
集中というのは、脳の一カ所のやる気を高めるというよりは、不要な部分の活動を「鎮める」とか「遮断する」、という側面が強いので。
陶然となる、とか魅入られる、というイメージ。
だから、読んでいる本が面白くて集中すればするほど、ポカーンとしている感じで力が抜けてくる。
それを知っているから、お行儀悪く思えても、あまり強くは言えないんですよね。パラレルに色々なことをやらなきゃいけなくなるにつれて、立ち上がる動作がめんどくさくなって、段々立ったままでいようとするようになります。
ただ、寝っころがって本を読んでいると、だんだん足が手持ち無沙汰(足?)になってくるのか、足先でぶらぶらと余計なことを始めるのですよね。そこにあったものをいじったりとか。
それは色々危ないので注意しています。
食に執着がない
ご飯を食べていて、何か面白いことが目に入ったり、思いついたりすると、もうそっちに夢中。どんなに好きなおかずでも食べ進めるのを忘れていたりする。
「お行儀がよくないなあ……」を通り越して、「具合がわるいのかも?」という心配を、大人になった親はしてしまうかもしれません。
フィクションとしての食いしん坊
キャラクター造形を伝える時に、「こどもっぽい」ことのテンプレートとして、「食いしん坊」って属性をあてることがよくありますよね。アニメとか漫画とか。
ドラゴンボールの孫悟空でもよいですし、サザエさんのカツオが食い意地がはってる、でもよいですし、トッキュウレッドでも、何でもいいんですが。
で、それがつい先入観として刷り込まれてしまう。
なんですけど、自分の子供の頃を思い返したら、そんなに食べることって重要じゃなかったです。ゲームしてたら、ゲームの「いいところ」が終わってセーブしてから食事に行きたかったし(ゆるされてた)、その頃の感覚からしたら、食事ってそれなりに「めんどくさいこと」でもあったはずなんですよね。私自身に限って言えば、文化系だったこともあって朝練もなかったし、高校生くらいまで食に執着なかったです。
もちろん、美味しいもの食べれば美味しかったんですけど……。
だから、食事を全部食べきらなかったり、集中して食べられなくて途中から遊び始めてしまっても、最近は割とゆるく構えています。
(2~3歳くらいのころに、しつけとしては教えていますが、あまり身に付かなかったですね。学校や園ではちゃんと座って食べているらしいですが)
まあ、片付かないので、適当なタイミングで呼び戻して、脇について残りをダッシュで食べさせることはあります(笑)
なんでもOKではないけれど
もちろん、なんでも子供のすることなら放っておいてOK、ということではないのでしょうが、「これはむしろ子供期こその特徴で、段々とおさまってくるんだよな」と思えれば、そのことはスルーできます。子育てしていると色々と気になることは多いので、スルーできることはスルーできる方が、他のことについて考えていられますよね。
そんな、「人によっては気になるかも?」なお話でした。
→ 他の記事も読んでみる(ランダムにジャンプします)。
→ イキブロ | いっきの「生き方」探求ブログ | Top へ。