私が子育てエッセイとして時々書く、息子の性格。また少し、違った側面を見るようになりました。それは“負けず嫌い”。
おはようございます。
いっき(@ikkiTime)です。
性格の原型が初めからあって、それが少しずつ表現されてくるのか、それとも環境が変わる中で、新しい性格の種を身につけてくるからなのか。
子供に対する自分の印象って、時期によって変わりますよね。まだ乳児のころは、どちらかというと「その子の性格」というよりは「赤ちゃんの性質」という感じだったものが、少しずつ見えてくる。
息子については、過去にも
……などの記事を書いています。
(※ “2.”,“3” は、共同ブログfmjで書かせていただいた記事ですね)
これまでの長男の印象としては、「内発的で集中力の高いタイプ」「失敗するかもしれないことには慎重派」といった感じでした。そこに最近は「負けん気の強さ」「目標達成へのこだわり」のようなものが見えてきました。
自分に負けたくない!
息子と公文
息子には、いま習い事として、くもんの算数に行かせています。
(息子の公文については、さきほどの《親バカの秋in fmj》にも書いています)
公文式では、ひとつの過程のプリントに習熟すると、その先の段階へ進み、そこで難易度がひとつ上がります。
そんな時に、息子が思うように問題を解き進められなくて、段々とグジグジし始めることがあります。そして、自暴自棄な感じで泣き出してしまう。教室でも、宿題を家でやっている時でも。
教室で泣き始めた時なんて、
「今日は息子君、ちゃんとがんばったよ。これくらいにして、おうち帰って、ごはん食べて、今日は休もうよ」
という感じで声をかけても、机に突っ伏してしやゃくりあげていたり、悔しさのあまり『歩くことすらやりたくない!』というほどに床で脚を投げ出してしまったりという状況になり、親が教室の下駄箱まで引きずってあげなきゃならないほどになります。
早く帰ってフロ入れて寝かしつけたい私としては、『勘弁してくれ、本当に』という話になるわけです。
それに、大人としては「教室のご迷惑になるんじゃないか」ということも、頭をよぎりますしね。
出入り禁止とかになったら、長期的には息子君本人にも、もったいないことだし。
と、親の方はドキドキしていたのだけど、先生の方は特に気にした様子を見せるでもなく、平静な感じで接してくれた。
これは本当、まずは先生に恵まれた。
性格、プラスの面もマイナスの面も、前向きに
これは、もしかしたら先生は、息子のプラスの面を見てくれているのかもしれない。ただ単に「今までに多くの子供を見てきて、慣れているから」ということだけではなくて。
私も、半分は親バカも混じりながら、これは「あつかいづらい子」というんではなくて、個性なのだ、と、そんな気もしています。
例えば、子供の送り迎えのついでに教室の中を見ていても、そんな「できなくて泣き出してしまう子」なんて、周りを見渡していないわけです。
どちらかというと、「めんどくさいなー、やる気でないなー。わけわかんないし、もう飽きたなー」という感じでぼんやりしている子の方が多い。あるいは、友達と一緒に来て座って、少しずつ少しずつ解いているとか。
そう考えると、『思うように問題を解けないから泣いてしまう』なんて、むしろ立派なくらいなのです。
一方で、それが悪く出ると、理想に自分が追いつかなくて、不貞腐れになったりする。
“頭でっかち”パパの、心のうち
そこまで1回1回を思い詰めなくても、練習は積み重ねてさえいれば、価値は必ず出るのだから、気楽にやるのだっていいのですけどね。本来なら。
そんなことも考えたので、気分が落ち着いた後の息子に
「別に、やっていて疲れた時は、無理しなくても、続きは『また明日』にしたっていいし、宿題が残ったっていいんだよ? 一回あたりの練習量(プリントの枚数)なんて、変えたっていいんだから。お父さんだって、先生だって、休んだからって怒らないよ」
と伝えてみたことがあったのでした。
すると息子は、「んー」と少し考えたあと、
「だって俺、それじゃ自分で自分がゆるせないんだよー」
と言いました。
(本当に言った)
……。おーい、君、言ってる言葉の意味、分かって言ってるかい? と、くすりとしそうになってしまいました。
いや、わかってるんだろな。社会的な文脈での重みは知らないにしても。
うん。すごい執着心。
自分の性格との付き合い方は、少しずつ覚えればいい。
負の側面の出てきた時の補い方。
必要な長所を、必要な時にだけ、出し入れする方法。
そんな方向に、うまく伸ばしてやりたいな、と思います。
編集後記
男の子ってかわいいですね。
指向性を持ったエネルギーと、目標達成に向けた強い意志。
まあ、イヤイヤ期くらいの頃は、「なんて暴力的なんだ、こいつは!」という感情もありましたけど(笑)
小学生くらいになると確かにかわいい。
そういえば、そんな息子を見ながら、ふと、
「あ、自分に似ているのかも」
なんてことも思いました。
私自身も小学3年生くらいまで、涙がとめられなくなることがよくありました。
「痛くて泣く」「悲しくて泣く」を卒業した後でも、「悔しくて泣く」ということだけは、なかなか終わらなかったような。
(親もそうだったということは、なので、後で彼にも教えておきました)
そんなことを思い出したのは、やろうとしてできずに悔しがって泣く、彼を見ていた時。私の問題でもないのに、胸の中がモヤモヤと“悔しかった” 。
目の前泣く彼に、私のできることが何もない、ということが。
子供の成長につれて、いろいろなことに気づかされるます。
この子達が、これかはどんな面を見せてくれるのか。
楽しみにして見守りたいです。
今日もありがとう。
ではまた、どこかで。
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