最近、[ZEN→禅の仏教美術→仏像→仏教史→仏教(の体系)]という経路で、仏像と仏教にハマっています。
おはようございます。
いっき(@ikkiTime)です。
(↑ 鎌倉へ行ってきました。)
静寂たる竹林の中でいただいたお抹茶。素晴らしい。
(まあ、私の “ZEN” なんてこの程度の理解です (^^;;)
旅行、楽しかった。
報国寺でいただいたお茶も、浄妙寺でとったお昼も、楽しかった。
天気も晴れ、ややのぼせるような暑さではありましたが、日陰に入るとまずまず涼しく、風が頭と額に心地よかった。
素晴らしい。
実のところ、私は旅行を純粋に楽しむということが、私にはおおごとなのです。
(参考『iki0117|恐がり、夏休みを計画的に取って、家族と旅行に行く! (個人的に超偉業)』
『iki0119|子どもを連れての海外旅行。気づいた事・注意点、3つ+1。』)
その意味でも嬉しかった。
写真の報国寺では、小さいところなのに、外国人旅行者の比率も結構高かったです。
『いやいや、一生に一度しか鎌倉に行かないんだったら、まずは鎌倉大仏と鶴岡八幡宮を押さえておきなよ?! マイナーどころは、2回目からでいいよ!』
とか言ってあげたくなりますが、海外での ZEN の人気は、私の想像を超えているのかもしれません。
仏像のここが好き!
私は最近、妻の影響で瞑想なんかもやっていますが、そうすると仏像のあの表情。
あのある種の無表情や、半眼の隙間から注がれる眼差しも、「なるほど、すごい。これが悟りの境地か!!」という感じで、だんだん好きになってきます。
あの眼差しは良いです。
研ぎ澄まされた緊張感がある。
あるいは、些事を超越した心の余裕みたいなものが。
仏画に描かれた光背とか、仏像の顔に貼られた金箔なんかも、その『高い精神レベル』の視覚表現として、とても臨場感があります。
そういった高い精神レベルを、うまく表情に描き出しています。
見つめあっていると、こちらもつりこまれて、敬虔な気分になって、落ち着きついた覚醒感を引き出される気がします。
うーん、仏像ヒーリング。(笑)
色々な仏像の種類もおもしろい
さらに、最初はどれがどれやらだった、仏像の種類も楽しい。
「欲への執着が苦しみを生むから、そこからの解脱を目指しましょう」と諭してくれる釈迦如来。
「あなたも、あなたのご友人も、亡くなられた時には極楽へと迎えに来るからね。安心していていいからね」と言ってくれる阿弥陀如来。
さらに、世に広がる病への恐怖に、慈悲の眼差しを垂れる薬師如来。
なんだか、この三如来の布陣もいい感じです。
人は弱くって、『瞑想とか苦行とか、欲望の超越に向かう努力が大事だよ』と言われても、つい目先の悩みに迷う。その悩みや恐れに親身に向き合いながらも、懇々と悟りへの道を説いてくれている。
その下位に位置する観音菩薩は、時には千の眼、時には十一の顔を持ってでも、私達の祈りや迷いを聞いてくれる。
そして六人の地蔵菩薩は、手分けをして世界を歩いて回って、目を届かせようとしてくれる。
この菩薩達の布陣もいいですよねえ。
そして、怖い顔のみなさんは“明王”に、現世利益追求の熱いエネルギーはは“天” のみなさんに配置されています。
(このあたりの理解は私のものです。専門的には色々違うと思いますが、大づかみに理解するにはいいのではないかな、というつもりで書いています)
歴史の中に仏教そのもののスタンスを感じる
結果として、この布陣全体から、『色々な人との接点を大事にしつつも、中心的な教えも説いていこう』という姿勢がなんだか歴史全体から見えるような気がしてきます。
実際には、その時々で布教しようとするお坊さんが、世間と折り合いながら伝承していっただけなのでしょうけども。
そんなアレコレも感じつつの、仏教美術鑑賞なのでした。
今日もありがとう。
ではまた、どこかで。
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