「評価と贈与の経済学」という本を読んでいます。
おはようございます。
いっき(@ikkiTime)です。
「評価と贈与の経済学」。
もう、一回は通しで読み終わったのだけど、何回も読み返しています。
どんな本か。趣旨は? 自分にとっての位置付けは?
一言でこの本の趣旨を要約するなら、
「『迷惑をかけたり、かけられたり』」 (P103)する新しい連帯を、その人が「贈与されたものにきちんと反対給付義務を感じるか」 (P177)というようなことを最優先基準として選んでいく社会をこれから作っていきましょう、って本です。
乱暴な要約かもしれませんが。
私はこわがりなので、どうしても『他者』や『未来』に対して明るい展望を持つことが、ハードルとしては高いのです。
冒頭で「何回も読み返しています」と書きましたが、それは私がこの本の指摘を真実と感じ、有用だと思っても、なお、それを自分の発想や思考回路や行動パターンの変容につなげようとすると道のりが遠いな、と、感じるからですね。
だから何回も読み返す。
抜粋と感想 (特に今後ブログ書きと向き合う上で)
社会人というのはスキル、ネットワーク、そして人柄の三要素からできている思うんですね。
(中略)
最後に人柄が出てくるから、やっぱりいいやつという認知が欠かせない。 (P175)
(STRONGタグは筆者)
こっちが困った時には、逆に助けてくれる、一緒にやると楽しい、そう思われることで、「見かけの品質」「見かけの安さ」以上に優先して、その人に声をかけたくなる。
そういう社会にしたいし、なっていく、という著者達の主張です。
「経済潮流として一気に」、とはいかないかもしれないけど、草の根で少しずつ動いていくことは確かにありそうです。
みんな、単純資本主義は疲れたし、そこでなんでも買えるだけのお金も稼げなくなってきているし。
その意味で、「すごい!」と思ってもらうことより、「いい人」エピソードを発信して、かつ蓄積していくことが意味を持つようになってくるのかも知れません。
最終的に淘汰の基準になるのがそのテクストを読むことによって生きる元気が出てくるものと読むと気分が落ち込むものだと思う (P182)
そのように、長期にわたって「人間くささ」や「いい人さ」を読んでもらい、身近に感じてもらおうとするとなると、世の中を皮肉っぽく切り取ったような、「的確な指摘」「切れ味の鋭い論理運び」「高い問題意識」のようなものは、あってもいいけれど多いと疲れるものかもしれません。
これも分かります。特に自分が読む場合には。
私も、「もう少し元気のレベルを上げたいな」と、思いながらフィードをたどっていることが、よくありますので。
ブログの文章を書く時にも、「分かりやすい」ことだけでなく、「読んで元気が出る」文章を心がけるべきかもしれませんね。
これからネット上で善を積もうとする人が増えてくるんじゃないかと思う。
(中略)
これまで長い間、ネットへの書き込みって、みんな「旅の恥はかき捨て」だと思っていたでしょ。 (P183)
これからは違ってくる。確かにそんな気がします。
意図的に、長期にわたって情報発信を続けていくことで、ネットの情報を「通りすがりの落書き」にしないようにしていくことはできるし、そうすることで得られる効力は大きくなっていくと思う。
そして、そういうプラス側面をある程度持っているのが当たり前になってくることで、相対的に、個人に紐付けられない発言をすることの快感は価値を減らしていくのでしょう。
まとめ
というわけで、「ブログ論」としても読める、この『評価と贈与の経済学』。
いい人さ、親しさ、継続。
そして《「あなたに話す話法」》(P240)。
ちょっと『日刊』を思い出しました。
情報メディアではなく、あくまて『個人メディア』として書く。
また、情報を書く時には、「こんな人には、きっとこの情報が役立つと思います!」という思いが、読んだ人に伝わるように書く。
心がけたいと思います。
今日もありがとう。
ではまた、どこかで。
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