大きな目標を持ち、それに向かって着実に実績をあげている。いつか、こいつはすごいことをやりそうだ。
そんな人間でないと魅力的に見えない……?
おはようございます。
いっき(@ikkiTime)です。
ブログに載せる自分のプロフィールがどんな風になったら、仲間を探しやすくなるか、仲間として声をかけてもらいやすくなるか、ということを考えていた時、ふと冒頭のような考えが浮かびました。
「仕事も、子供も、趣味も 全部頑張ってます。それを読者はまだあんまりいないけど、ブログで発信しています」という肩書きは、なぜか女性についてだけ魅力的に見えて、男にはそれほど魅力的に感じない。
「仕事を持っていて、子供もいて、一応趣味もあったりして、それらを、読者はまだあんまりいないけど、ブログで発信したりもしている」という肩書きは、なぜか女性についてだけ魅力的に見える、というジンクスというか『〜の法則』を思いついた。
(類似:仕事も恋も (仲間も)一所懸命!)
なぜか、同性である男の目から見て、
「なんでも一応やってます」、という最大公約数的な肩書きが魅力的に見えない。
少なくとも、「どんな人なのかな、もう少し知りたいな」という釣りの強さや、「この人キラキラしてるな感」が伝わってこない気がする。
これはなぜなんだろう。
「せめて、どれか一つが一流、例えば一億円稼いでいますとか、ブログでは月間 ○万PVです、とかほしいよなぁ……」と、ついないものねだりをしてしまいます。
社会はまだまだ女性に厳しいから、が理由か?
原因は3つくらい考えられるだろうか。
一つが、今の社会がまだまだ女性に厳しいから、やれていることが一緒なら女性の方が数段頑張っているから、ということ。
男性には最大公約数なことが、実は女性にとっては最小公倍数と言えるくらい難易度が高いことで、それをやっているから魅力的に見える。
そんな仮説。
これはこれで確かにある気がする。
数の問題
一つ目の理由と重なっていますが、それくらいなら、まあまあできる、というぐらいの肩書きだと、ありふれてしまって、差別化できないから個性が際立たない、ということです。
これもありそうですね。
でも、これだけでしょうか?
男性のことは、仲間や友人としてでなく、能力や優秀さのフィルターで測ってしまっていないか?
男が、というよりは私が、なのかもしれませんが、他の男性や未来の自分を見る時に、仲間というよりはメンターや師匠を求めてしまう精神構造に原因の一つがあるかもしれない。
憧れ度数が、かなり高く感じられないと、同性は魅力的に見えない……、という。
あるいは無意識のうちに、「仕事仲間としての優秀さ」みたいなものを男性には期待してしまって、「友人としていい奴」という見方をできないでいるのかもしれない。
そんな風に思った。
そこをなんとかしてみたい
で、それはちょっと寂しいと思ったし、未来の自分を考える時には苦しむことにもなる。
なので、変えられるのなら、いくつか変えてみたいとも思います。
- まずは、自分が人のことを仲間と見られる (見れる)ようになりたい。
- そして、「仲間と、仕事をする」というモードに入っていけたらさらにいい。
- そして、もし今のこの感覚を持ってしまっているのが、自分だけでないのなら、その社会を変えていく風穴の一つになっていきたい。
そんなことを思ってみました。
今日もありがとう。
ではまた、どこかで。
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